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5月5日 稽古場の床

本日は端午の節句です。床に冷泉為泰の鯉詠草を掛け、花菖蒲を染付高砂写花入に入れました。



(花押)

岩かねを

  落くる

 田

  喜八

百年もたへす

   のほれる

鯉や嬉し


為泰のこの歌は「鯉の滝登り」の故事をふまえたものです。みごとな岩盤から落ちてくる滝を百年絶えず登る鯉はうれしいものであると歌っています。この詠草の特に文字を大きく強調して書かれている「岩・田・喜、八」の文字には、「岩田喜八」なる人物の姓名が読み込まれています。岩田喜八の親が、息子の初節句の記念に為泰に依頼して書かれたものと思われます。みごとな詠草です。

鯉は鰤(ぶり)や鱸(すずき)のように稚魚から成魚までの成長段階において異なる名称を持つ魚ではありませんが、昔から出世魚(しゅっせうお)として「縁起が良い魚」と尊ばれてきました。それは鯉が滝を登り竜になるという登竜門の故事によります。


中国の聖天子舜(しゅん)が、黄河の氾濫を治めるように鯀(こん)に命じましたが失敗し、その子の禹(う)がそれを引き継ぎ治水工事に成功しました。そして舜から天子の位を禹ゆずられて夏王朝を立てました。禹は黄河上流の龍門山を三段にして水を排除しました。その結果そこに三段の爆布(滝)ができました。そして毎年三月三日の桃の咲くころに多くの魚が竜門に集まりこの瀑布を登ります。この瀑布を無事に登ることができるのは金鱗溌剌としたみごとな鯉だけです。大半の魚は登ることが叶いません。無事に登りきった鯉の額に雷が落ち、その雷火で尾が焼かれ、頭上に角をいただき・たちまち龍と化し、雲を呼んで昇天したそうです(「後漢書」李膺伝)。

                   舜

                   禹



このことから立身出世のための関門を「登竜門」、試験に合格しないことを「落第」、試験に合格することを「及第」、「点額」というようになったそうです。

さらに日本では、江戸時代に男の子が生まれるとその祝いに幟(のぼり)を立て流風習があり、やがてその幟に、鯉の絵があしらうようになります。その由来は、登竜門の故事に基づき、生命力が強く、滝を登ると竜になり天に登るという鯉にあやかり、子どもが健康に育ち、将来出世して、立派な人になるようにという願いが込められたことによります。そもそも鯉のぼりは関東の風習で、当時は上方(関西地方)ではでは見られなかったそうです。江戸時代は和紙に鯉の絵を描いたもので、大正時代に破れない綿の鯉のぼりとなり、昭和30年代に入ってから合成繊維の鯉のぼりが一般的なものとなったとのことです。


『碧巌録』に、「三級浪高魚化龍(さんきゅうなみたかくしてうおりゅうとかす)、癡人猶汲夜塘水(ちじんなおくむやとうのみず)」とあります。魚は滝を登り切って龍となった(悟った)。しかし、愚者は滝壺を探って、魚を探し続けているという意味です。この時期、茶席の床でしばしば目にすることがあります。

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