六斎念仏

京福電鉄で町柳駅の近くに干菜山(ほしなざん)斎教院安養殿光福寺という浄土宗の寺院があります。別名「ほしな寺」と呼ばれています。



鎌倉時代の寛元年間(1243~47年)に道空が長岡京市の西山安養谷(あんようがたに)に斎教院という寺を建立したのが起りと伝えられています。安土桃山時代に月空宗心(げっくうそうしん)が現在地に移しました。道空は六斎念仏を広め、そのことから後柏原天皇から六斎念仏総本寺の勅号を賜っています。また、豊臣秀吉が、鷹狩の途次に当寺に立ち寄り、宗心が寺の窮状を訴えるために干菜(ほしな)を献じたことにより、秀吉から干菜山光福寺の称号を与えられたといわれています。


光福寺と関係の深い伝統芸能に六斎念仏があります。六斎とは仏教でいう六斎日のことで、月のうち8、14、15、23、29、30の6日をいいます。この日は悪鬼が出て命を奪う不吉の日とされました。平安時代中期に空也上人が庶民に念仏を唱えることを教えるために、鉦(かね)をたたいて踊りながら念仏を唱えて京都の街々を巡ったと伝えられています。江戸時代に能や歌舞伎・獅子舞・万歳、願人坊主(がんにんぼうず)などの芸能を取り入れて芸能的・娯楽的なものとしてに発展します。楽器は笛、鉦、摺鉦(すりがね)、大太鼓、豆太鼓を用い、服装はそろいの浴衣を着て、道成寺や石橋・娘道成寺・越後獅子などの演目が行われています。現在、六斎念仏は国指定重要無形民俗文化財に指定され、空也堂系と干菜(ほしな)寺系が、盆または地蔵盆に行われる念仏踊として継承されています。光福寺では田中村六斎念仏保存会(旧田中村六斎念仏講)が奉納しています