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執筆者の写真木津宗詮

回し飲み

学生の時に酒が大好物の酒豪で、とても私のことを可愛がってくれたサークルの先輩からお流れ頂戴の作法を教えてもらいました。酒を持って先輩の前に座り、先輩の盃に酒を注ぎ、「お流れ頂戴」といって先輩が差し出す盃を両手でを受け、先輩または隣の人に酒を注いでもらい飲み干します。そして「ありがとうございました」とお礼を言って、頭を下げて盃の底を親指と人差し指ではさんで左手を下から添えて返すのだと教えられました。なお、盃を返す時の持ち方は相手が盃の縁を取りやすいようにするためです。逆に盃の縁を持って差し出すと、目上の方が下から頂戴する形になり失礼になるのです。目下のものから目上のものへ、客をもてなす亭主から客へ盃を進めることを「献盃」といいます。

なお、酒を注いでもらった盃をそのまま置くのは失礼にあたり、必ず口をつけてから置くのが礼儀です。また盃の酒を他の容器に捨てて返盃することは非常に無礼なことです。酒を注ぐ時は、基本的に客の正面で注ぎます。徳利の正面が上になるようにして胴の部分を右手でしっかり持ち、左手の指を徳利の下に添えてゆっくりと傾けて盃に触れないように注ぎます。そして注ぎ終わると徳利の口先を手前にまわしてしずくが垂れないようにします。

今の学生のコンパでは盃を頂戴するということはほとんどなくなったのではないかとおもいます。そんな古臭いこととか、封建的だとか不衛生だとかいわれそうです。また、そんな作法も教えられることもないのだと思います。このことは学生だけではなく、一般の社会でも少なくなっているように感じます。

民俗学者の石毛直道氏によると、今日一般的に行われている乾杯は西洋の風習に起源する型式で、同時に酒を飲み干して時間を共有することによって人びとのきずなを強化するという行為だそうです。日本の伝統的な乾杯は器の共有という原理にもとづいた行為で、同じ器の酒を飲むことによって人びとの心を一つにするという行為とのことです。そして盃を共有することにより礼儀やけじめを正し、よりいっそうの連帯感を高め、親しみを表す行為でもあり、血縁の無い人間関係を確認して強固にする目的で行われます。具体的に、結婚式で行われる「三三九度の盃」は赤の他人の男女が夫婦となるための盃です。また列席した両家の親族が共に盃で酒を飲んで親戚関係になる親族固めの盃もあります。ヤクザが親子・兄弟という疑似家族の関係になる「盃をもらう」、その関係から離脱する「盃を返す」という盃などもあります。古くは一揆の際に心をひとつにして結束するにあたってその誓約を行う際に、それぞれがが署名した起請文を鎮守の社の神前で燃やし、その灰を盃に入れた「神水」に溶いて飲む「一味神水」という盃もありました。また、茶事の懐石で正客の盃でお流れを亭主が頂戴し、正客と亭主が口にした盃が順に末客に流れていく「千鳥の盃」も主客の心が通い合う満ち足りた茶会となるようにする盃です。

酒の盃ではありませんが、茶の湯で一碗の濃茶を飲みまわしするのも、同じ茶碗で飲んだ連客一同が、心を一つにするために行われるものです。「一期一会」、一生に一度だけの茶会で、同じ茶碗で濃茶を飲むことで「一味同心」の間柄となるのです。

わが国の伝統的な観念に「穢れ」というものがあります。穢れは口をつうじて感染します。口に触れた器はそれを口にした人の魂が宿るとされていました。そしてその人の穢れもその器を通じて伝染するのです。だから箸やご飯茶碗などの器は所有者が決まっています。家族であろうと決して他の者が使うことがありません。同じ器から料理を箸で取りわけるときには取り箸を使用します。ところが茶の湯や酒宴の場ではそれを逆手にとって、一つの器を共に使用することによって、参加者一同の心を一つにするという手段として行っているのです。

濃茶の回し飲みを不潔だとか不衛生だとの意見もあります。しかしながら一碗の濃茶を連客一同で飲み回すからこそ意義があるのです。回し飲みは決して物理的な観点で評価するものではなく、もっと深い日本人の根底にある伝統的な観念から生まれた作法なのです。濃茶の回し飲みが行われなくなったとき、利休の茶の湯は似て非なるものになってしまいます。

写真は木津家の第一の宝物の一つである文叔手造りの黒茶碗です。初代松斎以来、二代得浅斎、三代聿斎、四代花笑斎、五代柳斎、六代徳至斎、そして七代である私と歴代の家族が正月の大福茶で濃茶を飲み回している茶碗です。

今回の新型コロナウィルス感染症の蔓延で回し飲みがが出来なくなりました。特効薬ができてもこの記憶は忘れ去られることは無いと思います。その影響はのちのちまで残るのでしょう。茶道の真髄であり、また、スタンダードというべき茶事は三密の最たるものです。狭い茶室の中で膝突き合わせて飲食を共にします。そして心を一つにすることができるのです。それが困難な時代となりました。日本の伝統文化の最たる茶の湯の危機的な状況です。かつて明治維新、文明開化、敗戦などの大変な時代がありました。そんな中でも生き残ってきました。それは先人の並々ならぬ努力があったからです。そして生き残るだけの意味があったから、必要とされる面があったからこそ今日につながっているのです。

ようやく茶会が各地で催されるようになりましたが、濃茶は一人分の各服点で行われています。この先この形が定着するのでしょう。本来の意味が失われてしまうのもやむを得ないことです。時代の流れには逆らえません。本当に頭の痛いことです。いかに次代に伝えるか。今後、最大の課題です。



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