本来、楊枝は柳の枝の皮付きを用いました。楊枝の材料にクロモジを用いるようになった起源を、井伊直弼の『閑夜茶話』には、
楊枝は必ず席に持ち行くもの、本体は文字の如く柳の枝皮付を用ひしよりの名なり、楊枝浄水とて清浄の子細を以てなり、其後黒もじを遣ひ出せし
は、古織の庭に黒もじの垣ありしに、或時折りて楊枝にしたりししかば香もよしとて用ひらる、是始なり
織部の庭に黒文字の垣があり、ある時それを折って楊枝にしたところ香りがよかったことから黒文字が楊枝として使われるようになったとあります。
枝浄水とは、仏教で楊枝に関する儀式のことです。真言宗では仏門に入るにあたり頭頂に水を注ぐ儀式である「灌頂の儀」では、口中の毒気を除き、心を清める意味で歯木を噛むことが行われています。また法水を人の熱悩を除く霊木である柳の枝(楊枝)で参拝者にふりかけ無病息災の利益を授ける修法があります。柳の薬効から清めるとか疫病を退ける利益があるとされたのです。直弼は楊枝に柳が用いられるのは「楊枝浄水」に基づき、口中を清浄にする効果があることによるとしているのです。
『有用草木博物事典』によると、クロモジはクスノキ科の落葉低木で、本州・四国・九州などの低山や疎林の斜面に分布する。茎は高さ五メートル程度まで成長し、若枝ははじめ毛があるが次第になくなり、緑色のすべすべした肌が黒い斑紋が多く、古くなるとざらついた灰色の樹皮に覆われる。葉はツヤのない洋紙質で楕円形の深緑で、葉裏はやや白っぽい。葉や枝には芳香があり、枝や根を薬用にもする。かっては枝葉を蒸留して黒文字油を抽出して化粧品や石鹸などに盛んにに使われ、輸出もされた。名前の由来は樹皮に黒い斑紋が文字に見えることから黒文字と呼ばれています。
また、直弼は『茶湯一会集』に、
楊枝必ず持ちかえる事に付きて、習いと云うは、誠に一期一会之茶の湯、また再びは遭いがたき事也、然ればいつまでも此の一会をしたい、且つは証拠となりのこるものは、楊枝一本ばかり也、故に大切に懐中し持ちかえりて、直様楊枝のうちに、年号月日、何会、何某亭としたため、取りかた付け置くもの也、亭主も其の心得にて、是非おぼえ有るべき筈之事に而、仕入れ之楊枝などみだりに遣うものにあらず、尤も、杉楊枝は持ち帰らず、一本楊枝而已持ち帰るが法なり
茶事で菓子に添えて出される楊枝を必ず持ち帰るのが習いであるとしています。茶事というものはまさに一期一会であり、再びそれに遭遇することはありません。だからその一会の茶事をいつまでも慕い、のちにその一会のよりどころとしての証がこの楊枝一本だけであるから、大切に懐中して持ち帰り、直ちにその年月日、どのような内容の茶事であったか、またどこの席で行われたかを記して大切に保管するべきものなのです。亭主もその心得でなければならない。むやみやたらに市販の楊枝を使ってはいけない。しかしながら黒文字に添えられた杉楊枝は持ち帰らず、黒文字一本を持ち帰るのが法であるとしています。
『利休百首』に、
水と湯と茶巾茶筅に箸
楊枝柄杓と心あたらしきよし
茶の湯に用いる水と釜の湯、茶碗を清める茶巾、茶を点てる茶筅、懐石で用いる杉箸や菜箸、露地の塵穴の塵箸、菓子に添えられる黒文字や杉楊枝、釜の湯を汲む柄杓や蹲踞の柄杓、そして主客は常に直心の一期一会の初心で臨まなければならないとの教えです。茶人として日頃から黒文字はじめ水屋道具に清浄の思いを持ちたいものです。
それにしてもなんと意味深い道具です。ただの楊枝ですが、黒文字一本なければ茶事はできません。
コメント