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天盃

慶応4年(1868)8月に明治天皇は即位礼を執り行い、その前の7月江戸を東京とし、9月には「一世一元の詔」を発布し明治に改元されました。

9月20日に天皇は京都を出発して東京に行幸され、江戸城を東幸の皇居と定められ東京城と改称されました。

12月にひとまず天皇は京都に還幸し、そして長期にわたって京都を離れていたことによる京都町民の不安を慰撫するために、酒237石余、するめ118500余枚、その他合わせて合計金4266両余を下賜しました。3月には、下賜された天盃(御土器)を町ごとに領布して京都町民を慰撫につとめました。

明治2年に東京遷都の方針が固められています。これに驚いた市民は、猛烈な反対運動を起こしました。遷都により、かつて奈良から京都に都が遷り衰退したように京都もなると不安をつのらせたのです。天皇は還幸するとして同年3月に改めて厳重な警戒の中東京に行幸し、その後、皇后の東幸も強行され、東京が事実上の日本の首都になリました。

東京奠都は京都にとって大打撃となリ、町人たちは落胆し、33万人の人口は23万人に激減してしまいます。京都にかつてない最大の危機がおとずれたのです。町人たちは、自分たちの手で京都を建て直そうと考えました。その時のスローガンが「第二の奈良になるな」。貴族が去って原野に帰った平城京のようにはなるまいぞ、という心意気を示したものです。このスローガンのもと、新しい産業の導入が積極的に勧められることになりました

かつて縁があり手に入れたのがこの小石町の天盃です。茶会で酒を注ぐ盃としてではなく、正客のお菓子を載せる器として使ったことごあります。正客はいうにおよばずご来客のみなさんにとても喜んでいただきました。


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