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椿餅

わざとなく、椿餅(つばいもちひ)、梨、柑子やうのものども、さまざまに箱の蓋どもにとり混ぜつつあるを、若き人びとそぼれ取り食ふ。


蹴鞠のち、殿上人が椿餅や梨、柑子などの果物をいろいろな箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々がはしゃぎながら取って食べている光景が記された『源氏物語』若菜上の一節です。 椿餅は、水に浸した餅米を蒸して粗めに挽いた道明寺粉を俵形にし、その中に餡を包み、ニ枚の椿の葉の間にはさんだ菓子です。紫式部の時分には、今日のような甘い小豆の餡はなかったので、干飯を砕いて粉にし、蔦の樹液を煮詰めた甘味料である甘葛(あまずら)をかけて固めて餅にして椿の葉にはさんだものだったそうです。 もともと「餡」は肉餡などの詰め物のことで、日本へは聖徳太子の時代に中国から伝来したとされています。小豆を用いた小豆餡が作られたのは鎌倉時代で、当初は塩餡でした。それが現在のような砂糖を用いた甘い餡になったのは安土桃山時代で、富裕な人たちの間に限られていました。江戸時代になりようやく庶民の口にも入るようになります。「餡」は宋音では「アン」、漢音では「カン」と発音されます。宋音は平安中期から鎌倉時代に禅宗の留学僧や民間貿易の商人たちによってもたらされた当時の中国の発音です。禅宗寺院の点心と深い関係があったことをうかがうことができます。なお、宋音には行脚(アンギャ)や外郎(ウイロウ)・胡散(ウサン)・金子(キンス)・西瓜(スイカ)・簞笥(タンス)・瓶(ビン)・普請(フシン)・饅頭(マンジュウ)などがあり、数は限られていますが、現在の日本語にも影響を及ぼしています。 かつて「椿餅」と言えば、八坂神社を南に下がった下河原の甘栄堂が有名でした。甘栄堂では一年中椿餅を売っていて、通りに面して「椿餅」と書かれた看板が掲げられていました。誠に残念なことに平成23年に閉店してしまいました。今回のコロナ禍で、やむなく廃業するこうしたいいお店が出てくることが危惧される今日この頃です。




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