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菊水

天皇家の紋は「十六八重表菊」です。公式に天皇家の紋とされたのは明治2年の官布告によります。親王家の十六葉菊花紋の使用を禁止し、十四葉・十五葉以下あるいは裏菊などに替えることとしました。明治4年には皇族以外の菊花紋の使用が禁止されました。ちなみに慶応3年に提灯・陶器・貢物などに菊紋を描くことを禁止され、明治2年には社寺で使用されていた菊紋も一部の社寺を除き一切の使用が禁止されました。明治12年になり一般の社寺でも神殿・仏堂の装飾として使用することが許されることになります。

後醍醐天皇から足利尊氏が、豊臣秀吉は後陽成天皇から十六八重表菊の紋を下賜されています。格別、忠義に厚かった楠正成も後醍醐天皇から同様にこの紋を下賜されています。正成は天皇家の紋を用いることをまことに畏れ多いこととして菊の花が川の流れにゆっくり身を任せているような美しい紋にしたそうです。これがいわゆる「 菊水 」の紋です。

後醍醐天皇は鎌倉幕府を倒して建武の新政を始めますが、のちに足利尊氏が反旗を翻し、後醍醐天皇の意に忠実に従った楠正成は湊川の戦いで足利尊氏に敗れて亡くなりました。湊川に赴く前、正成は息子の正行に菊水の紋の入った短刀を渡したと伝えられています。



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