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水屋壺

三代聿斎宗泉は毎年山代温泉に避暑に赴き、午前中、製図に携わり、午後からは九谷焼の二代須田菁華を訪ね親交しました。そして好み物を作り、焼物の指導をしました。

聿斎が大正天皇の皇后、貞明皇后の大宮御所の「秋泉御茶室」の御下命を受け、それを御嘉納くださった時、三千家と薮内家、そして木津家から御茶室で御使いになる御道具を御納めしました。その一つに白磁の水屋壺があります。そしてその控えが三つ作られ、現在は家元と当家と須田家に残されています。ただし箱書があるのはこの須田家のものだけです。水屋壺ですから蓋も添えられていました。その時の蓋は他の二つには今はありません。御所も空襲で焼け本歌は灰燼に帰し、今となってはとても貴重な品となっています。





二代菁華がこれを作った時の逸話です。三度作って大阪の聿斎の元に持っていって指導を受け、ようやく4回めにこれができたとのことです。畏きあたりに御納めする品ということで、聿斎も菁華も慎重に厳格に御作りしたとのことです。なお、地紋は皇后の御好きな菫です。



わが家にとってこの上もない大切な品を付属の蓋も含めて大切に守り伝えてくださり本当にありがたいことです。







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