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君子の花



愛歀癜連花、冩䟆瞜瀟排

䞍啻茂叔情、䌌入盧山瀟 

䌊藀仁斎讃印


この癜連花を愛し、瀟排に写し来る

ただ茂叔もしゅくの情のみならず、盧山の瀟に入るに䌌る


わたしはこの癜蓮の絵をこよなくいずおしく思う。この絵にはたったく俗っぜいずころがなく、本圓にすっきりず描かれおいる。ただこの絵をながめおいるず、呚茂叔の蓮を愛したその思いだけをみるのではなく、今たさに茂叔が廬山蓮花峰ろざんれんげほうのふもずにかたえた濂枓れんけい曞堂で、わたしは圌ずずもに垭を同じくしおいるような心地がする。


 江戞初期の京郜の儒孊者䌊藀仁斎の癜蓮花図の賛です。「茂叔」ずは䞭囜北宋の儒孊の倧家呚茂叔のこずです。本名は呚敊頀ずんい、字は茂叔、濂枓ず号したした。地方官ずしお各地を転遷したしたが、官僚ずしおの目立った功瞟はありたせんでした。のちに、南宋の朱熹しゆき・朱子により顕地されたこずで道孊の先駆者ずしお称えられたした。仏教や道教を取り入れた新儒教を打ち立お、人の根本は「誠」であり、誰であっおも身を修めるこずによっお聖人ぞず至るこずができるず䞻匵したした。この思想はのちの王陜明の陜明孊、朱子の朱子孊に継承されたす。

 呚茂叔はこよなく蓮を愛し、「愛蓮説」ずいう䞀文を曞いおいたす。


愛蓮説

氎陞艞朚之花、可愛者甚蕃。晋陶淵明独愛菊。自李唐来、䞖人甚愛牡䞹。予独愛蓮之出淀泥而䞍染、濯枅挣而䞍劖、䞭通倖盎、䞍蔓䞍枝、銙遠益枅、亭亭浮怍、可遠芳而䞍可耻翫焉。予謂、菊花之隠逞者也、牡䞹花之富貎者也、蓮花之君子者也。噫、菊之愛、陶埌鮮有聞。蓮之愛、同予者䜕人。牡䞹之愛、宜乎衆矣。


氎陞草朚の花、愛すべき者甚だ蕃おおし。晋の陶淵明は独り菊を愛す。李唐より来このかた、䞖人せじん甚はなはだ牡䞹を愛す。予、独り愛す、蓮の淀泥おでいより出でお染たらず、枅挣せいれんに濯あらわれ劖なためかず、䞭通ずおりり倖盎なおく、蔓぀るもあらず、枝あらず、銙り遠くしお益々枅く、亭亭ずしお浄く怍たち、遠く芳るべくしお耻なれ翫もおあそぶべからざるを。予謂(い)ぞらく、菊は花の隠逞なる者なり。牡䞹は花の富貎なる者なり。蓮は花の君子なる者なりず。噫ああ、菊をこれ愛するは、陶の埌、聞く有るこず鮮すくなし。蓮を之れ愛するは、予に同じき者䜕人ぞ。牡䞹を之れ愛するは、宣むべなるかな衆おおきこず。


氎陞の草朚の花には愛すべきものが甚だ倚く、晋の陶淵明は菊を愛した。唐代以降、䞖間の人は甚だ牡䞹を愛しおきた。䞖間の人々の嗜奜ずは違うのかもしれないが、私は蓮の泥から出お泥に染たらず、枅らかなさざ波にあらわれおなためかしくなく、茎は䞭が通り倖は真っ盎ぐで、蔓もなく枝もなく、遠くたで枅らかな銙りを挂わせ、高くすらりず枅らかに立ち、ただ遠くから眺めお、穢すこずのできない君子のように高朔なさたを。私は思う。菊は隠逞の花であり、牡䞹は富貎の花であり、蓮は君子の花である、ああ、菊を愛する人は、陶淵明ののちはほずんどいなくなっおしたった。わたしのように蓮を愛する人はどれだけいるだろうか。牡䞹を愛する人がこれほど倚いのももっずもなこずだ。 


 なお、「型物銙合盞撲番附」西方第二段目、第四䜍の呉掲「呚茂叔」はこよなく蓮の花を愛した呚茂叔に因んだものです。 四方入角の、やや盛りあがった甲に欄干に肘を぀いた人物が氎面を眺めおいる姿で、氎面に蓮を衚す点描のあるものず無いものずがあり、偎面は宝尜しの倉圢で䞃宝ず巻物の二皮が描かれおいたす。

『茶道筌蹄』に、


葉入角欄干あり、人物あり、氎にチョボゝずしたるものあり、蓮に芋立たるなり


ずありたす。この呚茂叔ず蜜柑・瑠璃雀・瓜・瓢以䞊祥瑞・牛・屏颚箱染付の䞃぀を型物䞃皮ず呌ぶそうです。


日本ではもっぱら蓮は仏や極楜など仏教のむメヌゞです。䞭囜や韓囜などでは、仏教だけでなく儒教・君子のむメヌゞで特に奜たれる花が蓮なのです。



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