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木津松斎 聞書 2

帛紗の寸法

 一指斎時分の伝書『點茶活法』に「寸法も區々也し」、『茶道秘録』には「幅も事の外せはきなり、宗易より紫羽二重を用也」とあり、紹鷗時分には帛紗の寸法はまちまちで、それもことのほか小さいものであったようです。表千家の江岑宗左の

『江岑夏書』に、


 一ふくさきぬの事、休、被成候も、ちいさく角をこしニつけ申し

 候、小田原陣ニ休御越之時、そうおん、ふくさきぬ大キぬい候て、

 薬つゝミニと御申候て被進候、休、御らん候て、此かつこう一段

 よく候、これより此様ニふくさきぬハいたし候へと御申候、ふく

 さ物と申事あしく候、ふくさきぬよく候、大キサハ十七め、十九

 め尤ニ候


と記されており、利休が帛紗の寸法を定めたことがわかります。その帛紗は、宗恩がそれまでの帛紗を四倍大に仕立て、利休が「此かつこう一段能候」と、その帛紗をその後も用いたとあります。また、川上不白の『不白筆記』には、


 一フクサ寸法ハ畳目十九ト廿一宜候、是はハ利休出陣之節宗音よ

 り薬ヲ包被進候、其フクサ宜と寸法極ル、当時此寸法用ゆ、又塩

 瀬ニ有之ハ其前之寸法と相見へ申候、色ハ紫黄から茶紅也、紫ハ

 常躰用ル、黄から茶ハ老人、紅ハ若年酷老ノ物也


川上不白も『江岑夏書』同様に小田原の陣に利休が従軍した時、利休の後妻宗恩が薬を包んだ帛紗の寸法を元にしたとしています。ただしその寸法は『江岑夏書』では十七目と十九目、『不白筆記』では十九目と二十一目と異なり、不白のころには寸法の伝承が混乱していたようです。また塩瀬家(しおぜけ)には利休以前の寸法が伝わっていたことがわかります。なお、塩瀬家とはわが国に饅頭をもたらしたと伝えられる林浄因(りんじょういん)の子孫です。はじめ林家は奈良に住し、その後、京都の北家と奈良の南家に分かれました。さらに京都の北家が南北に分かれ、京都北家が応仁の乱の戦禍を避けて三河国の塩瀬村に身を寄せて「塩瀬」を名乗りました。のちに京都に戻り烏丸三条で饅頭屋を営み、塩瀬家の宗味(饅頭屋宗味)は利休の孫娘を娶り、饅頭屋の稼業のかたわら帛紗の商いをしたと伝えられています。塩瀬という織物は、経(たて)糸を密にし、太い緯(よこ)糸を用いて平織にし、布面に横畝(よこうね)が現れる絹織物です。塩瀬家がこの織物で帛紗を売っていたことから織物の名前として「塩瀬」と呼ばれるようになります。なお、この畝の低いものを特に「塩瀬羽二重」といいます。今日、点前に用いられる帛紗は塩瀬が用いられています。なお、片桐石州の家老で高弟であった藤林宗源の『和泉草』には、


 薄キハ二重也、厚キ物ハ一重ヲ用也


とあり厚みのあるものとそうでない織物が用いられ、厚みにより仕立て方も異なっていた様です。

 薮内家七代竹心が元禄期の奢侈に流れる茶道界を憂え、利休時代の正風に帰ることを強調して著した『源流茶話』に、


  問、ふくさハいかゝに候や、

 答、義政侯の御時ハ、唐織をも被様候へとも、利休に到り、むら

 さき羽二重にて、寸ハ大様ゐの目十九目ニ廿一目と定られ候、或

 ハ貴人の御天目ニ添候欤、又かざりふくさ、上客懐中のふくさ

 ハ色ばかり織物をも被用候、懐中ふくさハ名物之盆だて・壺かざ

 りなとの節、用所有之候


とあり、足利義政の頃には唐織の帛紗を用いていたのが、利休が紫の羽二重を畳目(ゐの目)十九目と二十一目に定め、貴人に天目茶碗で茶を出す時に帛紗を添え、飾り帛紗と上客の懐中帛紗は色変わりか織物を用い、名物の盆点や壺飾に用いるとしています。寸法は『不白筆記』と同じで竹心は不白より50年あまり前の時代の茶人で、すでにそのころには利休が定めた寸法が十九目と二十一目と伝わっていた様です。

 足利義政の頃には唐織の帛紗とは今日古帛紗と呼ばれるものに近かったと考えられます。古帛紗は武者小路千家の唐物以上の相伝物で用いられる大帛紗の四分の一の大きさの帛紗です。寸法は竪五寸(約15・2センチ)、横五寸二分(約16センチ)の大きさで、昔の名残りをとどめていることから「古」の文字が当てられています。また点前帛紗との大小の区別から「小」の文字が使われることもあります。現在の武者小路千家の点前帛紗は竪19目(約28センチ)、横20目(約29センチ)となっています。大帛紗は点前帛紗よりおよそ畳目1目大きい寸法になっています。古帛紗の約4倍の大きさのもので、唐物以上の相伝物の点前では大帛紗を四つに畳み、さらに形をつけて道具を清めます。唐物以上の相伝物の点前には利休以前からの古い扱いが多く伝えられていることから、古帛紗が古法の帛紗であることがうかがえます。なお、好々斎の『官休録』には紹巴(しょうは)や緞子(どんす)を相伝物の点前に用いるとあります。裂地がやわらかいことから唐物等の貴重な道具に用いたと考えられます。利休以降、点前帛紗の寸法は茶人の好みにより若干の異同があり、一覧表に見られるように、各流儀の寸法として現在に至っています。

 先に見たように点前帛紗はやや長方形で、一方のみ「わさ」で他の三方は縫い目になり、両方に縫い目のある角は中に縫い代が重なって厚くなっています。その仕立て方は一本の縫い糸で三辺を縫い、最後に長く糸を残し、終りの縫い目の糸を弛めておき、口を広げて裏返し、その糸を引き締め、どこで裏返したかわからないように仕立てます。普通に口をあけて縫い、裏返してその口をくけると糸目が高く見苦しくなるので、このような仕立てをするのです。現在、一般的に点前帛紗の布地は塩瀬(しおぜ)で、濃茶や拝見等に用いられる懐中帛紗(出帛紗)は古代裂や由緒のある裂地等で仕立てられています。

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