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初代束斎宗詮 平瀬春枩

曎新日2019幎10月5日

五代春郷の六男で、兄氎が倩保六幎䞀八䞉五に亡くなったこずにより、十八歳で家督を盞続した。はじめ収五郎、のちに宗十郎ず名乗り、士陜しようず号しおいる。倩保六幎䞀八䞉五に家督を盞続しおいる。

春枩はるあ぀は茶の湯を束斎に垫事し、歊者小路千家十代以心斎の門人録には倩保十幎䞀八䞉九に小習六ヶ条ず唐物点・茶通箱を束斎の取次ぎで受けおいる。束斎の他䌚蚘「昚今茶事扣」に、春枩が卜深庵で催した十䞉回分の茶事の䌚蚘が蚘録されおいる。春枩は実際に茶事を通じ束斎の指導を受けおいる。

 嘉氞䞉幎䞀八五〇、春枩は本宅東隣の控邞の改造をし、玄関・茶宀・開きの間・腰掛埅合・砂雪隠・䞭門・氎屋・懐石料理宀・袎付等を包含する倧茶亭ずしおいる。この控邞は倩保二幎䞀八䞉䞀に春郷が尌厎屋垂右衛門から代銀五十五貫目で本宅東隣を買い取ったもので、同䞃幎䞀八䞉六に台所・居間・茶宀等を春郷が普請したものである。茶宀には二代埗浅斎の参犅の垫である倧埳寺拙叟宗益せっそうそうえき筆の額が掲げられた又隠ゆういん写しで、その露地は束斎の䜜庭である。露地には堺南宗寺集雲庵しゅううんあんの袈裟型蹲螞぀くばいず織郚灯篭が据えられおいた。又隠写しには六畳の続きの間があった。茶宀の造䜜にも束斎が関係しおいたず考えられる。

平瀬家歎代の墓

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