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青山幸利

湊川神社は湊川の戦いで亡くなった楠木正成公を祀る神社です。正成公の墳墓は同神社の境内にあります。記録の上では豊臣秀吉の時代、片桐且元による検地の記録が初出だそうです。



正保3年(1164)、尼崎藩第2代藩主青山幸利が初入国した際、領内の八部郡坂本村に埋塚なるものがあることを知りました。埋塚を調査したところ正成公の墓だということが判明しました。そして幸利はその塚に梅の木と松の木を植えて五輪塔を建てて供養しました。そして3代目青山幸督以降の尼崎藩歴代藩主、桜井松平家も正成公の墳墓の前に石灯篭を奉納して顕彰し、元禄5年(1692)に徳川光圀が正成公の墳墓に「嗚呼忠臣楠氏之墓」の墓碑を建て、明治5年(1872)には湊川神社が創建されて現在に至っています。















青山幸利は貞享元年(1684)8月2日に69歳て亡くなります。戒名は成覚院殿廓誉一法道山大居士。その遺言により青山家の菩提寺安養寺は尼崎大物から現在の場所に移転しています。これは幸利が死後も楠正成の墳墓を守るべく隣接する安養寺に墓所を設置させたことによります。











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