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執筆者の写真木津宗詮

以心斎画 宝尽図

好々斎の急死で窮地に陥った武者小路千家でしたが、大綱和尚の周旋により以心斎を無事に後継者として迎えることができました。松斎の後見のもと幼少の以心斎は茶の湯の修行を積み、その十代家元としての活躍は武者小路千家をあげて期待されていました。 

ところが、『空華室日記』天保8年5月の条に、以心斎が痘瘡とうそう(天然痘)に罹り、その後遺症で失明するという不幸に見舞われました。以心斎入家2年後のことで、武者小路千家に新たな困難が訪れました。

痘瘡は天然痘ウイルスを病原体とする感染症で、感染すると高熱を発し、悪寒、頭痛、腰痛を伴い、全身に水泡の中に膿みがたまる発疹ができる症状で知られます。現在は一部の研究機関を除き、自然界では根絶したと宣言されていますが、当時は不治の病と恐れられ、非常に強い感染力で、幼少の子どもたちが多く罹患し、死亡率も高かったようです。仮に一命を取り留めてもあばたが残り、ひどい場合は失明したり、四肢の末端に障害を帯びたりするなどの後遺症が出ました。伊達政宗が幼少時に右目を失明したのも、痘瘡が原因と伝えられます。

目が不自由となった以心斎は、書や道具がまことに少なく、書などは木津松斎が手をとって記したようです。宝尽しの絵も同様にして描かれたものかもしれませんが、失明するまでに見た物の形や色については記憶に残っていたはずで、この打出の小槌と宝珠は、それを念頭に置いて描いたように見られます。

ほかに以心斎を代表する書として、大綱との合筆になる円相が挙げられます。家元蔵の一幅には以心斎が一気呵成に力強い一円を描き、大綱が、


千宗安雅士若年因痘 

失明雖然心甚正明有人乞画為作圓相尤宜 

余和歌阿里 

何事も心からなり目を捨て筆にまかすも姿ただしき 

                   八十翁大綱


と和歌を認めています。円相は、『茶席の禅語大辞典』に「文字や言語で表現し尽くせない絶対的で円満なる真理や悟りそのものを敢えて表現する方法の一つ。(中略)見る人の境涯やそのときの心境の在り方によって、円相に何を見るか何を表現するかは様々であり、どのような賛語が付されるかにより微妙に意味が変わってくる」とあります。大綱の和歌は目が不自由であってもすべてが心の成すことであるから、筆に任せて描くこともすべて正しい姿であるという意味で、以心斎の円相が文字や言語を超越した円満な心により描かれているとの意を詠んでいると思われます。前掲の宝尽しの絵もまさに何のてらいもない純真な心によるものでしょう。なお、『空華室日記抜録』(愈好斎が大綱の『空華室日記』から茶道に関する事柄を抜書きしたもの)の嘉永3年(1850)9月23日の条に、以心斎の円相四枚を義母の宗栄(好々斎未亡人)が持ってきて、大綱に着賛を依頼したという記述が確認できます。家元に伝わる一幅の他にも、眼病平癒の霊験で著名な島根県出雲市の一畑薬師(一畑寺)にも、代参の者を通じ奉納したようで、今日も同寺に大切に所蔵されています。



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