阿弥陀如来

冷泉為村(澄覚)の「念仏往生」の短冊です。


念仏往生

弥陀佛導引しるへ一すちに

まよはさりとの誓たのもし 澄覚



阿弥陀如来のお導きを一筋に信じれば、迷わず極楽往生できるという如来の誓いが頼もしい。


阿弥陀如来は、梵名「アミターバ」といい、それを「阿弥陀」と音写し、「阿弥陀仏」略して「弥陀仏」ともいいます。「アミターバ」は無限の光をもつものとか無限の寿命をもつもの意味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいいます。

ひろさちやの『ひろさちやと読む歎異抄』によると、


阿弥陀仏はもともとは法蔵比丘(ほうぞうびく)という人間だった。

それはそれは遠い遠い昔の出来事である。一人の国王があった。彼はあるとき発心して、王位を捨てて出家をした。この出家者の名が法蔵比丘である。彼はもろもろの仏たちの浄土を見学し、そして五劫という長い長い時間にわたって思惟したのち、みずから願---請願---を立てた。その願は四十八あった。四十八願にはさまざまな願いが込められているが、煎じ詰めれば次のようになるだろう。わたしはみずから仏となって、浄土を建立したい。そして、その浄土に、悩める衆生たちを救いとりたい。すなわち、衆生たちがわたしの浄土に往生したいと願い、それでわたしの名を呼んだら、必ずやわたしの浄土に往生できるようにしてやりたい。わたしは、そんな浄土を建立したいのだ。もしそれが不可能であれば、わたしは仏となるつもりはない。法蔵比丘はその誓願にもとづいて修行し、そしてついに仏となられたのだ。その仏の名が阿弥陀仏であり、その仏の浄土が極楽世界である。

阿弥陀仏の誓願は、悩める衆生が彼の名を呼べば、その浄土に往生できるようにしたい、というものであった。彼の名は阿弥陀仏であるから、その名を呼ぶことは、「南無阿弥陀仏」と称えることである。したがって、わたしたちは、「南無阿弥陀仏」と称えれば、必ず極楽浄土に往生できるのだ。わたしたちはそれを信じて、そしてただただ「南無阿弥陀仏」を称えつづける。それでいいのである。それ以上のことは、なんにもいらない。


今日はお盆であるばかりでなく、終戦記念日でもあります。亡くなられた方の人数は、日本人は軍人が230万人、一般人が80万人、朝鮮人は軍人が22万人、一般人が2万人。台湾人は18万人、一般人が3万人。その他にも、中国人・ベトナム人・インドネシア人・フィリピン人・ビルマ人・アメリカ人・オーストラリア人等、多くの方が亡くなっています。みなさんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。