長堀橋

寛政11年(1799)3月11日に初代松斎宗詮がまだ願泉寺で降龍と名乗っていた時、父の時龍とともに聖護院宮盈仁親王を長柄橋でお迎えして願泉寺にご案内しました。

宮は箕面山の法楽に赴く途次で、3月13日まで願泉寺に逗留されました。この時、空襲で焼けて今はありませが伊達政宗か建てた客殿で、松斎と四天王寺の伶人とで参殿し雅楽を演奏してお慰しました。その時、自作の龍笛に「柴船」命銘していただき、また染筆を拝領しています。松斎は御礼として自身の好みの手焙一双を献上しました。

宮は帰洛の後、禁裏に参内し、光格天皇にその話したところ、天皇の所望によりその手焙を一つ献上したとの記録が残されています。

寛永2年(1625)東横堀川と木津川とを結んで延長約2500メートル、幅員30~40メートルの長堀川が開削されました。長堀橋はこの長堀川に最初に架けられた橋で、江戸幕府が管理する公儀橋の一つでした。近年、大阪の都心再開発のため同河川が埋立てられ橋の姿も消えましたが、地下鉄の駅名などにその名が残っています。


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