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初代松斎宗詮24 一乗院の作庭

 一乗院(いちじょういん)は、奈良興福寺の両門跡の一つである。両門跡とは一乗院・

橘御殿(たちばなごてん)と大乗院(だいじょういん)・飛鳥御殿(あすかごてん)のことである。歴代門跡は五摂家の近衛(このえ)・鷹司(たかつかさ)の両家の子弟が同門跡となり、特に近衛家が主となっていた。のち尊覚法親王(そんかくほっしのう)が入室して以降、親王入室の宮門跡となった。同院は明治にいたり神仏分離により廃され官没されている。現在、これらの建物は唐招提寺に移築され、同寺の御影堂となり重要文化財に指定されている。

 幕末、一乗院では松斎が武者小路千家の茶の湯を教授していた。嘉永4年(1851)4月に松斎は、一乗院の茶室「忘窓(わすれまど)」の作庭に携わり、その褒美として尊応(そんおう)入道親王から御庭焼仁清作掛絡(から)香合と、織部饅頭を入れて珠光好みの十八公食篭(じゅうはちこうじきろう)を拝領している。香合の箱書には花押が認められ、箱の甲には「庭焼 仁清」と書かれ、外箱に松斎が拝領の経緯と、茶室で親王手ずから拝領し、箱書が親王の自筆である旨を詳細に記録している。この上ない栄誉に浴したことに感激しての書付である。なお、この香合には、一乗院の諸大夫の高天治部卿(たかまじぶきょう)筆の奉書が軸装して添えられている。岩永文禎の『鐘奇斎日々雑記』によると、翌3月22日を初会として、その披露の茶事を催している。床に大徳寺江雪の一行「拄杖子呑乾坤」が掛けられ、文叔在判の利休菱盆に親王より拝領の仁清掛絡を載せ、花入は一啜斎の竹一重切「野鶴」、茶入は直斎在判の一服入、茶碗はまつだいら不昧公の書付の楽山焼、茶杓は真伯作銘「山吹」等が用いられている。「道庫中ニ盆飾り有」とあり、茶室卜深庵で作法の通り拝領の香合を盆香合の扱いで披露している。松斎が没する2年前、すなわち76歳の最晩年の茶事である。


尊応入道親王から拝領の御庭焼仁清作掛絡香合

尊応入道親王筆「庭焼 仁清」の箱の甲書

松斎筆 外箱箱書 「尊応親王御手/すから於御茶室/被下置候仁清作/クハラ香合/宗詮(花押)

松斎筆 外箱 「南都橘御殿忘葭/御数寄屋之御庭被/仰付候節此御香合/拝領御筥御染筆」

高天治部卿筆 奉書 「御庭焼仁清/御香合/右賜之候永可有/重宝条如件/嘉永四年四月/高天治部卿(花押)/木津宗詮殿」

御茶屋・忘葭席 「元一乗院 橘御殿絵面 水谷川家 元治元甲子歳改之」興福寺蔵

御宸殿 「元一乗院 橘御殿絵面 水谷川家 元治元甲子歳改之」興福寺蔵

一乗院宸殿の遺構で、明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和39年(1964)移築復元したもの。(唐招提寺ホームページより)



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