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初代松斎宗詮37 大坂の門人

 松斎の大坂の門人の中には有力商人が多数いた。幕府が大坂の本両替の仲間の取締りと公金の取扱い、米の買上げ、各種御用金を負担させるために選任した「十人両替」のひとつで宇和島藩(愛媛県)の蔵屋敷蔵元を務めた米屋郡六右衛門がいる。同じく十人両替加島屋広岡久右衛門(現大同生命)、同じく十人両替の加島屋長田作兵衛も松斎の門人である。他に藤井庄右衛門・長谷川源三郎・山本良右衛門等の有力商人がいて、彼らは一つのグループを作り、持ち回りで茶事を盛んに行っていた(『卜深庵茶会記』)。商人仲間だけでなく、前出の忍藩の須藤仁兵や同藩の加藤某のように大名諸家の蔵屋敷の御留守居役や他の役人・賓客の饗応接待に、茶席を設けて社交サロンとしていたのである。なお、前出の小山田主鈴は堂島の米相場で莫大な財をなしており、松斎の門下となったのもこれら大坂の有力商人とのネットワークが大きな役割をはたしていたと考えられる。

 また、道具商に伏見町栴檀木橋角の道勝伊藤勝兵衛がいる。道勝は松平不昧出入りの道具商で、「松屋三名物(松屋肩衝・存星長盆・徐煕筆鷺図)」を島津家に1万両で売り、当時における茶器売買の最高記録である。同じく伏見町の谷松屋戸田弥七(了然)がいる。弥七の父である権兵衛も不昧の『雲州蔵帳』に「谷権」の名で現れていて、不昧が蒐集した道具に関わった道具商である。この二人と松斎の関係は、松斎が不昧のもとで茶の湯の薫陶を受けていたころの縁によるものと思われる。

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