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初代束斎宗詮 『山村日蚘』

曎新日2020幎3月24日

 倩保幎1843月日に束斎は山村家を蚪れおいる。倕食ののち、小習六ヶ条のひず぀入子調ず盆銙合・長緒等の皜叀をしおいる。翌日から日たで束斎に関する蚘述がないため、倚分日野の皜叀に赎いたず考えられる。再び日には隅屋垞治郎を同道しお山村家を蚪れおいる。この日は壷食ず唐物の皜叀をし、倜は四方棚を甚い、䞊厎匥䜜・䜐々朚友賢䞡名も加わっおいる。日の倜は、池本忠右衛門ず䜐々朚友賢ずずもに台倩目の皜叀をし、そのあず酒飯が出されおいる。  同日、束斎は卯之助ず隅垞を同道しお山村家を蚪れおいる。十郎右衛門はこの床の皜叀の挚拶ずしお、金千疋ず挚拶ずしお金千疋、曞付の謝瀌に金匹、倖に卯之助に金匹を莈っおいる。  そしお今回家元が逊子をもらうにあたり入甚があるので、日野氎口の瀟䞭に蚱状を取っおもらうように事前に䟝頌しおいたようである。䞭井源巊衛門ず正野猪五郎・矢野芚巊衛門・山村十郎衛門に台倩目ず茶通箱の蚱状を枡しおいる。矢野真右衛門ず池本忠右衛門は他行しおいるので、束斎に春たで立替おもらい、十郎右衛門がその旚の曞付をしおいる。その埌、束斎は山村家の新屋敷から出立しおいる。  この蚘述から、翌幎、歊者小路千家に新善法寺家から歀䞭斎を逊子にもらうにあたり、瞁組みにかかる経費に充圓するために各地の有力瀟䞭に蚱状を勧めおいたこずがわかる。  これら日野ず氎口の門人たちは生業においお瀟䌚的・経枈的地䜍が共通し、䞭井家ず正野家に限らず広い姻戚関係を持ち、たた商売においおも密接な関係を有しおいた。たた圌らは茶の湯を通じお同門であり、茶事をしばしば催し、毎月䞀定の日に持ち回りで月釜の茶䌚を行っお、芪亀を深め茶の湯を高めおいたこずがわかる。たた、圓時は遠方から垫を招請し、地域の有力者瀟䞭の家に近圚の瀟䞭が集たり皜叀をし、盞䌝も行われおいた。たたこの機䌚に道具の曞付や蚱状の䌝達をしおいたこずがわかる。亀通や通信の䟿の悪い時代の地方の有力瀟䞭ずの関わりを具䜓的な圢でみるこずができる。

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