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小堀遠州所縁の庭

慶応3年(1867)12月9日、王政復古の大号令が発せられ武家政治が廃止となり同4年(1868)1月3日、鳥羽伏見の戦いが勃発しました。

伏見奉行所に会津藩兵や新撰組を含む幕府軍が陣を構え、その150メートル北側に位置する御香宮神社は薩摩、長州を中心とする討幕派。両軍の間での激しい戦闘となりました。御香宮神社や東側の桃山方面から伏見奉行所へ大砲が打ち込まれ、幕府軍は銃や砲弾などで応戦しましたが奉行所は焼け落ちてしまいました。

同奉行所には小堀遠州が伏見奉行に在任していた時に庭園を造りました。その出来栄えに感心した三代将軍家光は遠州を大名に取り立てたと伝えられています。

前出の通り鳥羽伏見で伏見奉行所焼け落ちてしまい、その跡地は明治時代以降、軍の施設への変遷を経て市営住宅桃陵団地となりました。その際に庭石を御香宮に移し。中根金作により作庭されたのが、現在の御香宮神社の庭園です。







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