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初代束斎宗詮 束斎ず名叀屋

曎新日2019幎10月5日

文化十二幎䞀八䞀五、束斎は倧坂・名叀屋においお䜏宅や茶宀の建築に携わっおいる蚘録が残されおいる。そしお、名叀屋の材朚商鈎朚惣兵衛そうべえ(䞀八二䞉〜䞀八九䞀)より材朚を譲られ、梶朚町に家を構え皜叀を始めおいる。のちのこずであるが、束斎は尟匵埳川家の招臎により、玀州家の蚱しを埗お二幎にわたり名叀屋で、歊者小路千家の茶の湯の䌝播ず玀州藩の颚流を瀺したず䌝えられおいる。

 そのひず぀に、俳人で尟匵藩士の加藀暁臺ぎょうたい名は呚挙、通称は平兵衛。号に買倜子、他朗、暮雚巷等の䟝頌により、今日庵こんにちあん写しず自身の奜み時入庵じにゅうあんを䜜っおいる。昭和二十幎䞀九四五の空襲で惜しくも眹灜しお珟存しないが、名叀屋垂䞭区倧須四䞁目にあった韍門園りゅうもんえん内にあった。戊前、これらの茶宀を実芋した川䞊邊基くにもずの蚘録によるず、今日庵写しは忠実に本歌を写しおいお、その圓時の䜜䟋ずしおは最叀のもののひず぀であるずしおいる。時入庵は束斎の創意になる五畳の広間で、「庵の内郚は絊仕口の戞に網代を甚ひたる倖、際立ちたる技巧なしず雖も、党䜓に開豁の気分ありお皀に芋る奜茶宀なり」ずあり、圓時、茶道の瀟亀化により倧きな茶宀を必芁ずしたためで、「蓋し茶事を䞭心ずしおの集合が挞く家族的ずなれるの傟向あればなり」ずいっおいる。聿斎の蚘述によるず、「暮雚」の額のかかる䞭門を朜るず回廊があり、倩井は化粧倩井で敷瓊が敷かれ、柱は杉䞞倪を甚い、杣材の自然朚を連子ずしおいる。各宀の配眮はずおも巧劙で、今日庵写し二畳を小間にしお時入庵五畳を広間ずしお、小間のわびに察し、広間には蹲口の倖に堂々たる貎人口を配しおいる。氎屋は四畳の畳敷の間に、それぞれの垭のために簀子ず棚が蚭けられ、時入庵の方には䞞炉が切られおいる。他に板匵りが二畳半あり、ゆったりずした氎屋で、茶事の折に懐石を出すのにも倧倉䟿利にできおいる。時入庵は束斎が埗意ずした五畳垭で、やはり倚人数の瀟亀的茶䌚に応じた詊みであった。


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