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細川ガラシャの墓

 関ヶ原の戦いで石田三成により人質にされそうになりました。それに対し、細川ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)の手で介錯され、遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を点けて自刃するという壮絶な死を遂げました。

 その後、オルガンティノ神父が細川屋敷の焼け跡でガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に埋葬したそうです。翌年に夫忠興はその死を悲しみオルガンティノ神父にガラシャの教会葬を依頼して自身も参列したとのことです。後に遺骨を大坂の崇禅寺へ改葬し され今日至っています。法名は秀林院殿華屋宗玉大姉。





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