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興聖寺(こうしょうじ)献茶奉仕

 興聖寺は京都府宇治市にある日本曹洞宗最初の寺院です。宋から帰国したは初め建仁寺(けんにんじ)に寄寓し、天福元年(1233)、深草(京都市伏見区)に興聖寺を開山し、観音導利院興聖宝林寺(かんのんどうりいんこうしょうほうりんじ)と号ました。道元禅師はは延暦寺の弾圧を受け越前(福井県)に下向しました。それ以降興聖寺は荒廃し4代で廃絶してしまいました。その後、慶安2年(1649)に淀城主の永井尚政(ながいなおまさ)公が、万安英種(ばんなんえいじゅ)禅師を招聘して5世住持・中興開山として宇治の地に興聖寺を再興して今日に至っています。

 午前中に中興開山万安英種禅師の位牌が「老梅庵(開山堂)」から法堂に移されて法要が営まれ、午後4時に万安英種禅師の位牌「老梅庵」に移され、次に道元禅師の位牌が法堂須弥壇中央に、右に孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師、左に瑩山紹瑾(けざんじょうきん)禅師の位牌が安置されて法要となりました。まず一碗めが点てられ導師が香を薫じて伝供により須弥壇上の道元禅師の位牌に、二碗は「老梅庵」の万安英種禅師、三碗は孤雲懐奘禅師、四碗は瑩山紹瑾禅師の位牌にそれぞれ供えられました。なお、孤雲懐奘禅師は道元禅師の示寂後、永平寺の住職となった後も道元禅師の侍者であるとの姿勢を終生変えず、その廟の脇に居室を建て、道元禅師に生前同様に仕えたとされています。示寂後は自分が歴住として道元禅師と同列に祀られることをおそれ、自分の遺骨は道元禅師の墓所の侍者の位置に埋め、忌日には道元禅師の墓前に向かい供養読経するようにとと遺言したとのことです。

 法要終了後、導師以下、法要に出頭されたみなさま、参列された方々に大書院で開山道元禅師はじめ中興開山万安英種禅師等に供えられたお茶とお菓子を差し上げました。

 本日の献茶は興聖寺が開創されて以来371年、初めて茶の湯の点前による記念すべき献茶となりました。このようなご縁をいただけたことは本当に有難く、またまことに名誉なことでした。今回、このような機会を作ってくださった興聖寺様はじめ、参列者、水屋を手伝ってくださったみなさんに厚く御礼申し上げます。



石門


琴坂

山門


法堂






老梅庵内部

開山道元禅師像

老梅庵外観


道元禅師墓所

開基永井尚政公像

大書院












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