木津宗詮3 日前1 分6月5日 稽古場の床大綱和尚の五月雨画讃をかけました。花は紫陽花と金糸梅・源平下野・河原撫子・露草を一指斎好み昔籠に入れました。 大綱 水かれてつねは橋たに無川も ふちとなりぬる五月雨の比
木津宗詮4 日前2 分二代得浅斎の兄2代木津得浅斎(とくせんさい)宗詮は文政5年(1822)播磨国高砂(兵庫県高砂市)の善立寺(ぜんりゅうじ)13代正厳(しょうごん・天保13年10月28日没、49歳)と妙厳(みょうごん・房枝)との間に生まれました。兄にのちに善立寺14世となる正隆(しょうりゅう)がいました。ま...
木津宗詮7 日前1 分6月1日 稽古場の床本日の稽古の床は、建仁寺417世で同派6代管長の大哉庵夾山泰祐の一行「孤峯汲雲煙(こほううんえんをくむ)」です。花は紫陽花と蛍袋を白山の鉈籠に入れました。 孤峯汲雲煙 建仁夾山(印)
木津宗詮5月31日1 分下宿近衛文麿が京都帝国大学の学生だった頃にしばらく下宿した大徳寺芳春院。1枚目から4枚目までが文麿が使っていた建物です。写真の2室以外にあと2間と風呂と便所があった独立した棟です。 大卒者の初任給が50円程だった時代に、なんと毎月150円の仕送りを受け取っていたそうてす。さすが...
木津宗詮5月30日1 分5月28日 卜翠会総会の床中央に先々代柳斎宗詮の「卜翠」、向かって右に土佐光孚(みつざね)による徐煕(じよき)の鷺絵写し、左に大徳寺大徹宗斗の松本肩衝茶入の画賛です。 松本肩衝茶入之図 古田宗屋居士 (図) 此景ヲ賞 小堀宗甫居士 (図) 此景ヲ賞 千利休居士 (図) 此景ヲ賞...
木津宗詮5月30日3 分鑑識眼先日、卜翠会の総会の床に掛けた大徳寺大徹宗斗の松本肩衝茶入の画賛です。 松本肩衝茶入之図 古田宗屋居士 (図) 此景ヲ賞 小堀宗甫居士 (図) 此景ヲ賞 千利休居士 (図) 此景ヲ賞 いにしへの人の心のちからをハ 見よとやうつす水くきの跡 前大徳般若閑衲大徹叟(印)...
木津宗詮5月23日2 分雲水雲水 あたかも行雲流水、空を行く雲、流れる水、物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せる。決して一ヵ所にとどまらずに修行する僧。 雲水 •在嶺頭閑不徹 •流礀下太忙生 雲在嶺頭閑不徹 水流礀下太忙生 雲は嶺頭(れいとう)に在(あ)って閑不徹(かんふてつ)...
木津宗詮5月23日1 分初音大徳寺大綱和尚の待郭公(ほととぎす)。牡丹を青磁花入に入れました。 待郭公 前大徳大綱 きかはやと 誰もまつらむ 郭公 夏立つ日より 鳴物にして 古来、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を特に「初音」といって珍重しています。『枕草子』ではホトトギスの初音を人より早く聞こう...
木津宗詮5月21日1 分弄清(ろうせい)相国寺130世で同派5代管長大津櫪堂手作り赤茶碗「弄清」です。箱には室号は大象窟と認めています。弄清には、確かめるとか清い、解明する、見極めるなどの意味があります。また、櫪堂が兼務していた慈照寺(銀閣寺)に弄清亭という香席もあります。
木津宗詮5月20日1 分5月20日 稽古場の床大徳寺大綱和尚の「五日」という題の和歌を認めた短冊を掛け、昨日奈良でもらった芍薬を信楽焼耳付花入に入れました。 五日 けふといは蓬あやめのつゆふかき 軒よりおつる風そすゝしき 大綱 そもそも旧暦5月5日の端午は、病気や災厄をはらう行事として行われていました。夏に向かって暑さ...
木津宗詮5月20日1 分5月18日 稽古場の床2大綱和尚の詠草「茶」を掛けました。花は鞍馬のおばさんから石楠花をいただき時代の籠花入に。 茶 しつかなる世を楽みて天下 何国にるも宇治のわか草 紫野大綱 ようやく新型コロナ禍も落ち着いたようです。まだまだ戦争や物価の高騰などもありますが旧に復してきた感があります。一日も早く...
木津宗詮5月18日1 分高野山三条西実隆の詠草です。 あふききてみるにいよゝゝ高野山 光いつへき室の扉は 堯空 三条西実隆は室町後期の公家で歌人としても特に有名です。内大臣に至り、出家して尭空(ぎょうくう)と号しています。飛鳥井雅親(あすかいまさちか)に和歌を学び、飯尾宗祇から古今伝授を受け、古典...
木津宗詮5月11日1 分明恵上人大徳寺の大綱筆「栂尾明恵上人」です。 栂尾明恵上人 大綱敬書(印) 明恵は鎌倉時代の華厳宗僧で、華厳宗興隆の志を起し,東大寺や神護寺などで修行し、栂尾(とがのお)に高山寺を開き、華厳の中興といわる名僧です。 明恵上人は建仁寺の栄西禅師が宋(中国)から持ち帰った茶の実を譲られ...
木津宗詮4月30日1 分残花(ざんか)宙宝和尚の一行です。 今日残花昨日開(今日の残花昨日開く) 前大徳寺松月老衲書(印) この世には残花なんて存在しません。全ての花は今日を盛りとして精一杯花開いています。「残花」それは人が勝手にそう呼んでいるだけです。