木津宗詮8 時間前1 分旭日3代聿斎宗泉の「旭日画賛」です。 静なる 御代の すかたか はても なく ゆたけき 海に 朝日 かゝよふ 静かに治まる御代の姿が果てしなく豊かな海の上に朝日がきらきらと輝いています。 今年一年がそのような年であってほしいです。いや永遠にそうあってもらいたいです。
木津宗詮5 日前3 分歴史は繰り返す興宣大院君(こうせんだいいんくん)は、李氏朝鮮時代の王高宗の実父で、本名は李昰応(かおう)です。元来、「大院君」とは直系でない国王の実父に与えられる称号ですが、李朝時代末期において多大な影響をもたらしたため、単に「大院君」と言えば、通常は興宣大院君をさします。...
木津宗詮6 日前1 分ナンコウキクノ朝ドラの「おちょやん」のモデルとなった浪花千恵子の本名は南口 キクノでした。戦後の日本映画界を代表する名脇役の女優で、ちょっとアクの強い役から、上品なおばさんまで幅広い役柄を大阪弁を使いこなして演じていました。子どものころの記憶にかすかに残り、今も映画等で見かけると本当に美...
木津宗詮1月18日1 分1月18日 稽古場の床初代松斎宗詮の一行「風動六花舞(かぜうごいてりっかまう)」です。花は日光椿と有楽椿、白梅、花入は粉引。 六花とは結晶が六角形であるところから雪の異称です。「むつのはな」とか「ろっか」ともいいます。表具は初代の好みになります。雪の句だけに赤い紙がなんともいえない風情を醸し出します。
木津宗詮1月16日1 分1月16日 稽古場の床新年最初の稽古の床は3代聿斎宗泉の「天開万国歓(てんひらいてばんこくよろこふ)」を掛け、竹一重花入に白玉椿と曙椿、綰柳を入れました。新しい年を迎え千代を寿ぎ、柳の枝の様に、一年をしなやかに無事に過ごし、柳の芽吹きの生命力にあやかり来る年もみなさんと稽古ができることを祈りました。
木津宗詮1月14日2 分埋火雛屋立圃の五徳画賛です。 よき友の来る夜と しるや松の雪 立圃(印) 立圃は江戸前期の俳人です。家業の人形屋より雛屋・紅粉屋といいます。松永貞徳に俳諧を学びますが、同門の松江重頼との確執により貞門から離れ独立し、貞徳に対立する俳諧点者に成長し、多くの門人を擁しました。その作...
木津宗詮1月13日1 分今出川通左右にVの字に分かれた右側が「今出川通」左側が「旧今出川通」。もともとはバスどころかせいぜ車一台が通れる道幅でした。明治時代末の京都市三大事業により、烏丸通・千本通間において拡幅・市電(今出川線)敷設が行われました。その時に作られたのが今日の今出川通です。ちなみに今出川とい...
木津宗詮1月11日1 分一陽来復冬至が過ぎて「一陽来復」、1日1日陽が長くなっていきます。毎年この時期、私は陽が沈む頃の山際がとても美しく感じられて大好きです。そしてなにより春に向かって気分が徐々に高揚していくのを実感します。 新型コロナが再び猛威を震い始めましたが、まさに「一陽来復」、一日も早く治ってほ...
木津宗詮1月9日1 分成人の日20年生きたから大人ではなく、20年生きたから大人になりなさいということ。成人とは人に成るということで、20歳になったら一人前の人間にならないといけないのです。その節目が「成人の日」ということです。 思い返すと20歳の時の自分が一人前だったか?高校を卒業して就職した友だちは...
木津宗詮1月8日3 分願わくば我に七難八苦を与え給え願わくば我に七難八苦を与え給え 七難八苦とは様々な苦しみや困難のことをいいます。『観音経』に七難とは大火の難、大水の難、羅刹難(風難)、刀杖(とうじょう)難、悪鬼難、枷鎖(かさ)難、怨賊難の七つとあります。 八苦はすべての生物に存在する根本四苦である生老病死と、人に存在する...
木津宗詮1月7日3 分おじいちゃんと孫以前、表千家の堀内くんに「子供の頃は、お爺ちゃん稽古がいい。お父さんがやると、気になって細かいことを言い過ぎるので芸が小さくなる。お爺ちゃんだと、おおらかに楽しみ、芸が大きくなる。・・・と、謡の先生が言うてはりました。」と貴重なご意見をいただきました。...
木津宗詮1月6日2 分捨てる本当に大切な物を大切にするために役割を終えたモノを捨てなければなりません。物を捨てることは決して物を粗末にしているのではありません。 押入れや引出しの奥にしまわれ、その存在すらも忘れられた物は本当に大切にされているのか?...
木津宗詮1月5日2 分都祝言上 通理 御會始 都祝言 〵 君を祝ふ都の春にうつる日の なかき世かけてさしも仰かむ 仕ふへきいはふ心もせきたてゝ かすむやはなの都路の春 江戸後期の公家久世通理(みちあや)の御会始(ごかいはじめ)の詠草です。 御会始とは今日の宮中歌会始めの儀のことです。あらかじめ暮れに題...
木津宗詮1月4日2 分鶴古くから中国では丹頂が親しまれ愛されてきた経緯があることから、かって国鳥に選定しようとしましたが、丹頂の学名、英名ともに「日本の鶴」を意味することから、そのため「中国の国鳥としてはふさわしくない」という批判が相次ぎ、政府もこれを受けて決定をためらっているそうです。また同じく...
木津宗詮1月3日2 分門松古来、正月には家々に訪れる年神様(としがみさま)をお迎えしてお祀りしてきました。年神様とは豊作や家内の安全を守る神様であるとともにご先祖様でもあります。ちなみにその年神様が新しい魂を与えてくれて新年とともに魂も新しく更新されます。これがお年玉の淵源です。...
木津宗詮1月2日2 分ゆとりと潤い以前、前の戦争で一番に徴兵猶予が停止され、動員されたのが歴史と哲学、国文学を学んでいた学徒だったと聞きました。これを見て納得しました。厳しい時代になると文学部の風当たりが一番に厳しくなる。近年も国立大学で文学部が不用といわれていました。まさに教養軽視で、即お金になる学問が重...
木津宗詮2022年12月30日1 分更上一層楼(さらにろうのいっそうをのぼる)売茶翁高遊外の「更上一層楼」です。花は聚光院でいただいた曙椿と白玉椿に錦木、花入は7代直斎作竹一重切「十八公」、前に赤膚焼の茶壺を飾りました。 出典は中国・唐の詩人王之渙(おうしかん)の「登鸛雀楼(かんじゃくろうにのぼる)」です。 更上一層楼 王之渙...
木津宗詮2022年12月30日2 分年の瀬の風景昔の年の瀬こんな風景は、餅つきも大掃除も大人も子どもま家族総出でやってました。そしておせちはその家の主婦が棒タラを水で戻したり、黒豆を炊いたり、ごまめを作ったり、数日前から取り掛かっていました。 そうした光景も今となっては懐かしいものとなりました。核家族化で小さな単位になり...
木津宗詮2022年12月29日1 分浅利とる人や目出度年のくれ初代松斎宗詮の「郡宛書状」です。 昨今存外長閑ニ 相覚へ申候然ハ 南紀ゟあさり貝 任到来進上仕候 當年 □にて風与 浅利とる 人や 目出度 年の くれ 可笑〳〵 かしく 卜深庵 朧廿九日 郡様 尚々御令室様へ りうゟ 宜敷申し上呉候様 申候かしく...
木津宗詮2022年12月23日2 分喪中ハガキ40歳を過ぎてから年々師走になると喪中ハガキをもらう枚数が増えます。お世話になった方、また奥さんが、ご主人がお子さんが何月に亡くなったから新年のご挨拶を遠慮するという旨の家族の方からの挨拶状です。 そうした中、とてもお世話になった方の大切なご家族が亡くなったとの挨拶をいただ...