木津宗詮2 日前1 分エゴノキエゴノキは落葉小高木で、北海道~九州・沖縄まで、日本全国の雑木林に多く見られます。 和名は、果実を口に入れると喉や舌を刺激してえぐい(えごい)ことに由来します。チシャノキ、チサノキなどとも呼ばれ歌舞伎の演題『伽羅先代萩』に登場するちさの木(萵苣の木)がこれです。
木津宗詮3 日前1 分特別誂え先斗町は道幅が狭いため、電信柱は可能な限り民家の側に立てられています。ただしそのままだと軒にあたるので二階軒の下あた りで中央に緩やかに曲げてまたまっすぐ上に伸びています。普通の電信柱はコンクリート製で真っ直ぐですが、この電信柱は金属製で曲げて作られています。先斗町のための...
木津宗詮5 日前1 分三閣・四閣・五閣「京の三閣」は金閣・銀閣、それに西本願寺の飛雲閣。「京の四閣」は三閣に大徳寺芳春院の呑湖閣(どんこかく)、「京の五閣」は更に東福寺の伝衣閣(でんねかく)を加えたものです。 芳春院は前田利家の夫人・松子が子の利長と利常とともに大徳寺の玉室宗珀に帰依して建てられ建立されられ前田...
木津宗詮5月10日1 分弁当「弁当」の語源は中国南宋時代の俗語「便當(当)」だそうです。その「便當」が「便道」、「辨(弁)道」などと表記され、「辨(そな)えて用に當(あ)てる」、「辨當(弁当)」の字が当てられ、「好都合」や「便利なこと」を意味することばとなったそうです。そして「弁当箱」という言葉も生ま...
木津宗詮4月30日2 分進物子どもの時分父親が婚礼や何かの祝いの会で大の形をした砂糖をもらってきました。今から考えてみると砂糖がまことに貴重品であった時代だったのです。 実際、その時分、安物のお菓子にはサッカリンやチクロといった人工甘味料が使われていて母親からそんなお菓子を食べてはいけないと言われまし...
木津宗詮4月26日1 分ハロン湾の思い出5年前にベトナムを友人と一週間にわたり旅をしました。そしてベトナム北部のトンキン湾北西部にあるハロン湾のクルーズを楽しみました。 ハロン湾はカットバ島のほか大小3,000もの奇岩、奇峰の島々がそそり立つ天下の名勝です。その不思議な自然の織りなす幻想的な風景は水墨画の世界で、...
木津宗詮4月19日1 分春の嵐明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは 親鸞上人の有名な歌です。春を謳歌するごとく爛漫に美しく咲く桜。明日も見れるだろうと思っていても今宵嵐がふいて散ってしまうかもしれません。
木津宗詮4月19日1 分正直その年の天候により早い遅いはありますが植物は本当に正直です。人間の作った暦とか常識とかはお構いなし。新型コロナや戦争で人間は大混乱ですが、桜も山吹も藤も梅もみんな然るべき気温と天候を迎えるとそれぞれ綺麗な花を咲かせます。
木津宗詮4月19日1 分重し豊臣秀吉の朝鮮出兵で毛利家が持ち帰った青銅製の噴水です。とても見事な品です。 ただし見事なだけで持ち帰った訳ではありません。行きはたくさんの兵士を船に乗せています。帰りは空の船。重しがなければ船が転覆してしまいます。そこで船の重しとしてこんな巨大な噴水を持ち帰ったのです。同...
木津宗詮4月17日1 分電柱悪者扱いされている電柱も立派な文化です。今日の発展は電柱があってのことです。震災などの災害、景観などの問題はありますが、それを全く否定するのはいかがなものかと以前から疑問に感じています。電柱を否定することは現在を否定することだと思います。決して無理に残せというわけではありま...
木津宗詮4月15日1 分八重桜いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔 八重桜は山桜や染井吉野や枝垂桜などにくらべ遅咲きの樹です。 ようやく開花です。他の桜に比べ、八重咲きなので、満開になると華やかさはひとしおです。
木津宗詮4月12日1 分矢の根の門平清盛の異母弟で、一の谷の戦で嫡男の通盛や教経、業盛を亡くし、壇ノ浦で一門とともに入水し果てるのである平教盛(のりもり)の六波羅第の館門と伝えられています。柱や扉に戦乱の矢傷が残るところから「矢の根門」とも呼ばれています。...
木津宗詮4月12日1 分オランダ通り岡山市北区の表町商店街の横を通るおしゃれな雰囲気の道の別名です。かつて楠本イネが住んでいた事に由来しています。 楠本イネはオランダの軍医として日本に来日していたドイツ人医師のシーボルトと、日本人の母たきとの間に生まれた子供です。イネはオランダおいねと呼ばれ、日本人の女性とし...
木津宗詮4月10日1 分楠公首塚湊川の合戦で自刃した楠木正成公の首は、足利尊氏の命で首級は観心寺に送られ同寺今日も祀られています。 正成公がいかに優れた武将であったかがわかるとともに、敵の首級をこのように大切に扱った尊氏の度量の大きさ、さすが幕府を開いて武士の棟梁になるだけのことはあります。...
木津宗詮4月10日2 分からたちの花からたちの花が咲いたよ。 白い白い花が咲いたよ。 からたちのとげはいたいよ。 靑い靑い針のとげだよ。 からたちは畑の垣根よ。 いつもいつもとおる道だよ。 からたちも秋はみのるよ。 まろいまろい金のたまだよ。 からたちのそばで泣いたよ。 みんなみんなやさしかったよ。...
木津宗詮4月9日2 分尾上の鐘神功皇后が三韓征伐より凱旋の時に持ち帰り、高砂の尾上神社に納められたと伝えられる鐘です。実際には新羅朝時代に造られた盤渉調の鐘で、国の重要文化財に指定されています。 上下に幅広の帯がつけられ、蓮台に座った如来が一体浮き彫りされ、頭上には天蓋と小さな楽器が飛んでいます。...
木津宗詮4月9日1 分桓武天皇陵桓武天皇陵の住所は「京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎」です。 永井久太郎の由来は永井右近太夫直勝と堀久太郎秀政という人の屋敷がこの地にあったことによります。のちにその屋敷跡に二人の名を合わせた地名です。 永井右近太夫直勝は徳川家康の嫡男信康に仕え、信康没後家康に近侍します...
木津宗詮4月8日1 分おしゃかになる失敗して物をダメにする事を「おしゃかになる」といいます。以前からなぜそういう風に表現するのか気になっていました。その語源を調べてみると花祭り・灌仏会に因むとありました。江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍って使い物にならなくなった金物を、江戸っ子訛りで「しがつよかった...
木津宗詮4月8日4 分故郷の花土佐貞親「忠度都落ちの図」です。 平家一門で清盛の末弟にあたる平忠度は文武に長け、特に和歌を藤原俊成に師事し歌人としても優れていました。寿永2年(1183)7月の平家一門が都落ちの際、忠度は従者6人を引き連れ都に引き返し、俊成の邸を訪れました。そして秀歌と思われる歌百余首が...