木津宗詮4 時間前3 分因縁文化12年(1815)、初代松斎宗詮は名古屋で住宅・茶室の建築に携わり、同地の材木商鈴木惣兵衛(材惣5代目)から材木一式を譲られて大坂梶木町に家を建て武者小路千家の茶の湯の稽古を始めました。後に尾張徳川家の招致により、紀州家の許しを得て、2年にわたり名古屋で武者小路千家の茶...
木津宗詮5 日前1 分6月23日 稽古場の床江戸時代後期の公家千種有功の「蛍」の詠草わ掛けました。前に鶴首花入に鉄線を入れ、青磁香炉とともに利休形の丸卓にのせました。 正三位有功 とふほたる舞 しと はかり見すく すハ おもひなきみの うへにこそ あれ
木津宗詮7 日前1 分6月21日稽古場の床宝永3年(1706)6月21日、杉木普斎は79歳で伊勢の地で亡くなりました。今日は315回目の祥月命日です。床に自筆の賛になる狩野周信画になる肖像を掛け、茶菓を供えて偲びました。 筆に姿を残し流るならうるさし 絵に本分ありや否 如何正法眼曰 忝も此普斎ゝゝ
木津宗詮7 日前1 分6月20日稽古場の床大徳寺の大綱宗彦の五月雨画賛を掛け、南紀檜籠に檜扇水仙、アメリカ花車、下野草を入れました。 大綱 水かれてつねハ橋たに無川も ふちとなりぬる五月雨の比 普段は水が枯れて橋もかかっていない川が渕になる五月雨ころ。 今年は例年に比べて近畿地方は梅雨入りが遅かったです。6月になっ...
木津宗詮6月16日1 分6月16日 稽古場の床2夜の稽古は、江戸時代後期の公家千種有功の二首詠草を床に掛け、一指斎好まの昔籠に紫陽花と矢筈薄を入れました。 有功 夏祝 石上ふるのわさ田もにきはひて としあるみよのさなへとる也 五月雨 玉たれに残るあふふのかれはさへ うるひにけりなさみたれのころ...
木津宗詮6月16日1 分6月16日 稽古場の床木津家三代聿斎宗泉の鷺画讃です。花入に見立てた実際に使われていた魚籠に紫陽花と檜扇水仙、下野草、河原撫子を入れました。 浮雲のくらきかさなる絶間なく 日影も見えぬ五月雨のそら 聿斎(花押) 暗く重なり絶え間のない浮雲が空を覆い日差しも見えない五月雨の空。...
木津宗詮6月12日1 分6月12日稽古場の床本日は売茶翁高遊外の墨蹟を掛けましたです。花は紫陽花、未央柳、下野草、蛍袋、撫子、定家蔓、矢筈薄を伊賀焼耳付花入に入れました。 清 茶禅一 味 元昭書 還俗して売茶翁と号する前に本名元昭を名乗っていた時の作です。小品ですが何気なくサラサラと認められた侘びたものです。私のお気...
木津宗詮6月11日1 分6月11日稽古場の床江戸時代初期の公家飛鳥井雅直の五月雨の短冊です。花は未央柳と撫子、定家蔓を鉈籠に入れました。 五月雨 けふも猶をやみたになき五月雨に のきより落る瀧の白糸 雅直 今日もあいかわらずしばしの間も止むことのない五月雨。まるで瀧の白糸のようなものすごい雨が...
木津宗詮6月9日1 分6月9日の稽古場の床床に復古大和絵師の渡辺清の蛍の絵を描けました。彩色画なので花は入れてません。 清は名古屋の人で、京に上り土佐派の土佐光貞や兄弟子の田中訥言に師事しました。その後名古屋に戻り尾張藩11代藩主徳川斉温の命により、定光寺祖廟の修理を担当し、その功績が認められ士分に取り立てられまし...
木津宗詮6月3日1 分大丈夫木津家6代徳至斎が古希の記念に作った黒唐津茶碗です。「大丈夫」という銘がつけられています。私の息子、父から見れば孫に贈ったものです。おじいちゃんの孫への思いが込められた銘です!
木津宗詮6月2日1 分6月2日 稽古場の床今日の稽古の床は武者小路千家先先代家元愈好斎の一行です。花は甘茶と蛍袋・金糸梅を白山の鉈籠にされました。 山是山水是水 官休庵(花押) 唐代末期から五代時代にかけての禅僧雲門文偃(うんもんぶんえん)の語録、『雲門広録』が出典です。雲門は禅宗五家七宗の一つ、雲門宗の開祖です。...
木津宗詮6月2日1 分6月1日 稽古場の床妙心寺690世・妙心寺派34代管長嶺興嶽の船中人物画賛を床に掛け、花は額紫陽花と破傘を鉈籠に入れました。 風鳴南岸葉 月照一孤舟 徳源松江叟(印) この掛軸は春日井の友人が住職に就任した折の記念に認められたものです。何十枚も書かれたとのことです。...
木津宗詮5月28日1 分5月28日 稽古場の床神戸市の湊川神社がご創建150年の佳節を迎えられました。さる24日にはその記念の祭典がめでたく斎行されました。それを奉祝して今日の稽古は愈好斎筆になる「山呼萬歳声(さんこばんぜいのこえ)」を掛けました。花は芍薬を新渡染付高砂花入に入れました。...
木津宗詮5月27日1 分5月27日 稽古場の床不徹斎家元と4代佐伯江南斎・6代木津徳至斎宗詮の合作「水上行」です。花金糸梅、撫子、露草、下野、蔓桔梗を魚籠にいれました。 (花押) 隆 水 上 行 蓼花 利休居士四百年遠忌の時に認められたものです。木津家で2代得浅斎以来跡取りは「宗隆」という号を名乗ります。父徳至...
木津宗詮5月26日1 分5月25日稽古場の床大綱宗彦の竪詠草「新樹妨月(しんじゅつきをさまたげる)」です。李朝時代に身分の低い人たちが被った竹で編んだ笠「ペレンイ」に紫陽花と鹿子草、都忘れ、姫空木、縞葦を入れました。ペレンイはかつて韓国を訪れた時に買ったもので、ツバに三箇所籐をつけて釣花入にした物です。 新樹妨月...
木津宗詮5月23日1 分5月23日 稽古場の床2次の稽古場の床は不徹斎家元の一行「水遠山長(水遠く山長し)」、ベトナム土産の魚籠に蛍袋と露草、金糸梅を入れました。 水遠山長 守(印) 川の流れはどこまでもどこまでも続き、 山は同じくどこまでもどこまでも連なっている。そんな大自然の光景が目に浮かびます。
木津宗詮5月23日2 分5月23日 稽古場の床掛物は大徳寺大綱和尚の待郭公(ほととぎす)。牡丹を青磁花入に入れました。 待郭公 きかはやと 誰もまつらむ 郭公 夏立つ日より 鳴物にして 古来、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を特に「初音」といって珍重しています。『枕草子』ではホトトギスの初音を人より早く聞こうと夜を...
木津宗詮5月20日1 分絵御本葵絵茶碗先代家元有隣斎の書付になる絵御本茶碗です。絵御本は寛永期から元禄期にかけて、釜山の倭館で、日本人の監督下に作られたものだそうです。双葉の葵が青黒い線描きで描かれたわびた茶碗です。 いかなればその神山の葵草 としはふれども二葉なるらん 小侍従「葵をよめる...
木津宗詮5月18日2 分5月18日 稽古場の床武者小路千家先々代家元愈好斎の一行「明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう) 」です。大山蓮華を鉈籠に入れました。 明歴々露堂々 官休庵(花押) 「明」は、はっきり見えるとか、事がはっきりしているという意味。「歴」は、明白であるさま。はっきりとしているさま。「露」は、あ...