木津宗詮2 日前1 分姫百合秋日詠秋祝言 和歌 為人 姫菊を移して 祝ふ秋の日のかを りも高き木の芽煮 留伊保 姫菊を移して祝ふ秋の日の 香りも高き木の芽煮る庵 冷泉 為人先生の懐紙です。先鋭は上冷泉家第25代当主で、わたしの大学時代の恩師です。 この和歌は今から20年以上前に、あるお祝いでいただいた...
木津宗詮9月15日2 分放生会9月15日は石清水八幡宮の放生会(石清水祭)でした。 放生会とは魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める法会です。『金光明最勝王経』長者子流水品には、釈迦仏の前世であった流水(るすい)長者が、大きな池で水が涸渇して死にかけた無数の魚たちを助けて説法をして放生したところ、魚たちは三十...
木津宗詮8月9日1 分およく餅8月9日に二月堂にお参りすると、46,000回参詣したのと同じ功徳が得られるとされていて、「およく(功徳日)」と呼ばれています。この日だけ二月堂ではんばいされているのが「およく餅」です。こし餡で餅を包んだだけのシンプルなお菓子です。猛暑の時分にはかえって美味しくいただけます。
木津宗詮8月2日2 分愛蓮説杉木普斎筆「愛蓮説 楽志」です。 水陸草木之花、可愛者甚 蕃。晋陶淵明独愛菊。 自李唐来、世人甚愛 牡丹。 予独愛蓮ノ出淤泥 而不染、濯清漣而不妖、中通外直、 不蔓不枝、香遠益清、亭亭浄植、 可遠観而不可褻翫焉。予謂、菊 花ノ隠逸者也、牡丹ノ富貴者也、...
木津宗詮7月5日2 分空ごと山本行範(やまもといくのり・こうはん)と素琴女史画七夕図 の画賛です。 素琴女史についてはどの様な人物か不明です。 ほしあひのそらことなからを とめ子の みやひこゝろのみゑてなつかし 行範 素琴女史(印) 一年に一度だけでの星逢いは本当ではない作り話だけれども、それを真...
木津宗詮6月30日2 分夏越祓望月玉渓(もちづき ぎょくけい)の夏越祓図です。 望月玉渓は明治7年(1874)に玉泉の子として京都に生まれました。父に画技を父に学び、望月派の5代目となり、昭和13年(1938)に亡くなっています。画風は望月派の伝統的で緻密なものです。...
木津宗詮6月9日2 分6月9日稽古場の床本日の東京稽古は、松平不昧公の詠草を床に掛けました。花は花菖蒲を宗全好み蝉籠です。 思事宇多幣婆那藝奴言霊之 幸波布験麻佐斯加利計理 蘭室主人 思事うたへばなぎぬ言霊(ことだま)の 幸(さき)はふ験(しるし)まさしかりけり...
木津宗詮6月6日2 分6月6日稽古場の床自宅稽古場の床は、大綱和尚筆になる『徒然草』第百十七段です。花は、今朝庭で咲いた花菖蒲を二代須田菁華の染付高砂写し花入に入れました。 兼好法師のつれゝゝ草に 筆をとれハ物書かれ、楽器をとれハ音をたてんとおもふ、盃とれハ酒を思ひ、賽をとれハ攤うたん事を思ふ、心ハ必らす事ニふれ...
木津宗詮6月6日1 分6月6日稽古場の床1祇園稽古場の掛物は、建仁寺の元管長竹田益州老師の栄西禅師の『喫茶養生記』の巻頭です。花は紫陽花と白花の下野、蛍袋を手付籠に入れました。 茶 養生仙薬 延齢妙術 栄西禅師語 法孫益州書(印) 茶の徳を讃える名言です。 建仁寺の開山栄西禅師は、中国南宋の禅院で行われていた茶...
木津宗詮6月6日1 分6月3日稽古場の床本日の稽古場の床です。11代一指斎の一行「茶能得維和之友」を掛け、小海老草と都忘・利休草を丹波焼徳利に入れました。 茶能得維和之友 一指斎書(花押) 茶を通じて心穏やかな友と縁を結ぶことのできます。そんな素晴らしいものが茶の湯です!
木津宗詮6月6日1 分5月30日稽古場の床2夜の稽古に冷泉為村の短冊「卯花」を掛け、茜焼黄交趾花入に山芍薬を入れました。 卯花 くれ深き籬にさける色はみな 夕の月となかふうの花 為村 夕べの空を煌々と照らす月と見間違うような籬にたわわに咲いた真白い卯の花を詠んでいます。...
木津宗詮6月6日1 分5月30 稽古場の床1本日の祇園稽古場は、大綱宗彦の竪詠草「新樹妨月(しんじゅつきをさまたげる)」を掛け、更紗卯木と美中柳、京鹿子、鉄仙、蛍袋を手付籠に入れました。 新樹妨月 大綱 心なくしけりにけりなわかみとり のきはの月を余所にへたて丶 美しい若緑の木々の葉が、無分別に茂ったおかげで、軒端の...
木津宗詮6月6日1 分5月28日稽古場の床鈴鹿の椿大神社の稽古。床に少庵350年忌の折に三千家家元により認められた扇面「緑水青山」を掛け、宗全籠に蛍袋、甘茶、下野、虎の尾、糸葉春車菊を入れました。 緑水 守(花押) 青 左(花押) 山 室(花押) この時の家元は武者小路千家は先代有隣斎、表千家は先々代即中斎、裏千家...
木津宗詮6月6日1 分5月23日稽古場の床本日は三重県のとある団体の稽古。床に昨日表具の出来上がった大徳寺嶺雲室老師の一行「金龍起五雲」を掛け、信楽焼面取花入に擬宝珠を入れました。 爽やかな風の吹く稽古場に、郭公の鳴き声がひとしお初風炉の趣を加えてくれています。
木津宗詮6月6日2 分5月20日稽古場の床本日の大阪稽古場の床は、大徳寺の無学宗衍の墨跡「薫風自南来 殿閣生微涼」です。白山の鉈籠に露草、段菊、姫小判草を入れて床柱に掛けました。 薫風自南 来 殿閣生微 涼 前龍寶無学書(印) 唐の文宗が前半の句を作り、柳公権が後半をつけた詩が元になっています。...
木津宗詮6月5日1 分清々しい朝窓を開けるとホトトギスが鳴いています。とても気持ちのいい朝を迎えました。今日は旧暦4月29日です。明日から皐月となります。そこで愚詠一首 さつき待つ山郭来たりなは 人には告けよ夏の訪れ 何か良いことのある兆しかな!
木津宗詮6月4日1 分能舞台の鏡板「影向の松」春日大社一の鳥居をくぐってすぐの参道右側の黒松。延慶2年(1309)の春日権現験記にも記された古い巨木であったが、平成7年(1995)に枯れ、現在は巨大な切り株の横に後継樹の若木が植えられています。 この影向の松は、春日大明神がこの松に降りて来られて萬歳楽を舞ったとされる木...
木津宗詮6月1日1 分五月雨棗藪内家五代不住斎竹心紹智の好みになる「五月雨棗」です。 親しくしている家元の関係の方にも伺いましたが、名前のいわれは不明です。利休形の小棗とほぼ同じくらいの大きさですが、直径が高さに比べる少し大きく、肩がほんの少しだけ張り気味な感じです。箱書は十一代透月斎竹窓紹智となっています。
木津宗詮5月23日1 分西雲院朝鮮出兵である文禄の役の時に日本に連行された朝鮮人宗厳が建立した西雲院です。 宗厳は滝川雄利の娘に仕え、その死後な出家し、法然上人由縁の紫雲石を当時の黒谷金戒光明寺の住職から与えられて同院を開山しました. 宗厳は一心不乱に念仏を唱え、その元に多くの僧俗が集まり、千日念仏惣回...