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4月26日稽古場の床2
自宅稽古場の床は、香川景樹懐紙「萎花蝶飛去(はなしぼんでちょうとびさる)」です。花は小手毬と黒臘梅を竹円窓花入に入れました。 春日詠萎花蝶飛去 和歌 長門介平景樹 この里ははなちり たりととふ蝶の急 くかたにも風やふ くらむ...

木津宗詮
2024年4月28日読了時間: 1分


4月27日稽古場の床2
本日の椿大神社の稽古は近衛文麿筆「魚鳥来親人(ぎょうちょうきたりてひとにしたしむ)」です。万古焼花入に大輪の鉄仙を入れました。 魚鳥 来親 人 文磨(花押) 少しでも邪な心があれば魚も鳥も警戒して、決して近づくことをしません。清らかな心でなければ。

木津宗詮
2024年4月28日読了時間: 1分


4月26日稽古場の床
三重の某団体職員の稽古場です。床に大正時代の妙心寺13代管長関蘆山の小槌画賛。花は杜若を唐銅木瓜口耳付花入に入れました。 盧山書(印)花押 この槌は宝打ち出す 槌でなしのらくら ものゝあたま打槌 最後の「槌」は槌の絵を読みます。...

木津宗詮
2024年4月28日読了時間: 1分


4月27日稽古場の床
本日の自宅稽古場の床は、大徳寺の大綱宗彦の七言絶句「偶成(ぐうせい)」を掛けました。花は薮椿と射干、花入は伊万里焼白磁徳利、薄板はミャンマー土産です。 偶成 烟霞深擁北山岑 不用春光向外尋 柳暗花明二三月 黄鴬日々伴吾吟 空花道人(印) 偶成...

木津宗詮
2024年4月28日読了時間: 1分



木津宗詮
2024年4月28日読了時間: 0分


小室翠雲(こむろすいうん)
木津家3代聿斎宗泉と南画家の小室翠雲の合作です。 小室翠雲は小室桂邨を父として画家の家系に生まれました。名は貞次郎、翠雲と号しました。翠雲は谷文晁派の田崎早雲に師事して南画を描きます。はじめ群馬県館林市で南画の修業を続け、早雲の死後、上京して南宗画会や日本美術協会に作品を出...

木津宗詮
2024年4月26日読了時間: 2分


4月24日 稽古場の床2
夕方からの稽古の床に、江戸時代中期から後期にかけての公家花山院愛徳(よしのり)の一行「茶味有清趣」を掛け、鉄仙と深山南天を高取焼蹲花入に入れました。 花山院愛徳は同家29代当主で従一位右大臣に進み、当時入木道(書道)に優れ能書として著名でした。天明8年の大火で京都が烏有に帰...

木津宗詮
2024年4月25日読了時間: 1分


424日 稽古場の床
本日の祇園稽古場は、木津家3代聿斎宗泉と南画家の小室翠雲の合作になる竹筍図です。花は苧環と小手毬、黒臘梅を安南染付花入に入れました。 聿斎と翠雲との合作が数点残されています。聿斎の花押からは40代の作のようです。翠雲は「添筍翠雲(印」」と書き添えていて、はじめに聿斎が中央に...

木津宗詮
2024年4月25日読了時間: 2分


聿斎好み 錫の瓢風鎮
風鎮(ふうちん)とは、掛軸の軸先に付ける重りのことをいいます。「風を鎮める」ということから、掛軸が風に揺れないようにするものとか、飾りとしてもちいられます。茶の湯の床では掛物に風鎮を掛けることはありませんが、3代聿斎宗泉が大正12年(1923)癸亥に好んだ錫の瓢風鎮です。作...

木津宗詮
2024年4月23日読了時間: 1分


ありがとうとごめんと借りたもの
沢庵宗彭の「今井宗薫宛書状」です。 昨日者御事繁 之内過分至極候 近日□可罷帰候間 其時分以面上 可申入候、猶使僧 可申候也 恐惶謹言 南宗寺 宗彭(花押) 正月廿九日 宗薫老 昨日は御事繁の内、過分至極に候、近日□罷り帰り候間、其の時分面上をもって申し入るべく候、猶使僧申...

木津宗詮
2024年4月22日読了時間: 2分


4月21日 稽古場の床
本日の稽古の掛物は、裏千家5代不休斎の「猿回し」画讃です。花は唐椿に小手毬を伊賀焼耳付花入に入れました。 いとなみに まはさるゝのも 廻るのも まはりもちにて 世はたつたかな 千与三郎(花押) 営みというものは回されるのも回るのも、所詮はお互いに回り持ちで世の中成り立ってい...

木津宗詮
2024年4月21日読了時間: 1分


4月20日 稽古場の床
本日の東京稽古場の床は、大徳寺の宙宝一行「今日残花昨日開(きょうのざんかきのうひらく)」です。 今日残花昨日開 前大徳松月老衲書(印) この世には残花なんて存在しません。全ての花は今日を盛りとして精一杯咲いています。「残花」とは人が勝手にそう呼んでいるだけです。宙宝和尚は残...

木津宗詮
2024年4月21日読了時間: 1分
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