• 木津宗詮

からたち・枳殻(きこく)

からたちの花が咲いたよ。

白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。

靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。

いつもいつもとおる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。

まろいまろい金のたまだよ。

からたちのそばで泣いたよ。

みんなみんなやさしかったよ。

からたちの花が咲いたよ。

白い白い花が咲いたよ。


 北原白秋の「からたちの花」です。「からたち・枳殻(きこく)」は、長江上流が原産で8世紀にわが国に伝わったミカン科のの落葉低木です。和名の「からたち」の名は「唐橘(からたちばな)」が詰まったものです。枝には長さ5センチにも及ぶ鋭い棘があります。そうしたことから防犯を目的に生垣に利用されます。そしてこの時期、甘い香りを漂わせる清楚な白い花をつけます花のあとには、産毛で全体を覆われた緑色の果実をつけ、秋には熟して爽やかな香りを放つ黄金色の実になります。ただし残念ながら強い酸味と苦味があるため食用にはなりません。

 からたちの生垣を見ると頭に浮かぶのは、文楽「槍の権左重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」の浅香市之進留守宅数寄屋の段です。「槍の権左重帷子」は、近松門左衛門が実際あった事件を脚色した浄瑠璃です。出雲松江藩松平家の近習中小姓の池田文次が同家中の茶道役正井宗味の妻とよと密通し、二人は駆落ちして大阪に行きます。そして享保2年7月17日、正井宗味は高麗橋上で二人を討ち果たします。いわゆる「妻敵討(めがたきうち)」です。江戸時代の武家社会では妻の姦通を絶対に許さず妻と相手を成敗するのがあたりまえでした。「不倫は文化」と言った人がいましたが、現在からは考えられませんね!なお近松がこの事件をもとに浄瑠璃にして竹本座で上演したのが8月です。すごい早さです!

 文楽では「槍の権左」こと笹野権三は鑓の名手で美男子でした。藩主の祝いの席で真の台子の茶の湯が開かれることになりました。ところが茶の湯の名人の浅香市之進は江戸勤めで留守のため、その門下の権三に任せられることになりました。真の台子は一子相伝の秘伝で、権左は市之進の女房のおさゐに巻物を見せてほしいと懇願します。かねがね権三に好意を持っていたおさゐは、娘の婿になるなら一子相伝を満たし、伝授することができると迫り、権左はそれを承知します。深夜に権左は市之進の留守宅の数寄屋で伝授の巻物を見せてもらいに訪れます。おさゐは、権三の家紋入りの帯を見て悋気して権三の帯を解きほどき、庭に投げ捨てます。そして代わりに権三に自分の帯を締めろと解いて与えます。権三はむっとしておさゐの帯を同じく庭に投げ捨てます。そこに庭に忍んでいた悪者の川側伴之丞が二本の帯を拾い上げ、「市之進女房と笹野権三、不義の密通数寄屋の床入り、二人が帯を証拠」と叫び、飛び出していきます。二人はもはや言い逃れは出来ないと覚悟を決めて出奔します。

 「からたち」と「槍の権三重帷子」かというと、川側伴之丞が数寄屋に忍び入るのに、下人に持たせた四斗樽の底を突き抜き、すっぽり抜けた四斗樽をからたちの生垣にぐっと突っ込み、葉っぱが生茂り鋭いトゲに障らず中に入ることのできる抜け穴を作りそこから侵入します。そして二人の帯を持って一目散に逃げるのもこの抜け穴です。なんと頭のいい!あの鋭いトゲから身を守る!すごいやつだと感心しました。なぜかこの場面が今もとても目に焼き付いています。四斗樽は「剣菱」となっていたのもはっきりと覚えています。

 武者小路千家の生垣も「からたち」です。5年間住込修行した時にからたちの周辺を掃除をしました。そして何度もトゲで刺して痛い思いをしました。修行時代の嬉しかったこと悲しかったこと、茶の湯の奥義である真台子の伝授、槍の権左重帷子のこの場面とが複合的に重なっているのかもしれません。私にとって「からたち」にはいろんな思い出があります。

なお、白秋の「からたちの花」の作曲者の山田耕筰は幼い頃養子に出され、活版工場で勤労しながら夜学で学びました。耕筰は自伝で工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いたと述懐しているそうです。この歌は耕筰のこの思い出を白秋が詞にしたものとのことです。















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