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マレー式住宅

今から9年前、8世紀にスルタンが移り住み、マレーシアのベラ州の州都として発展してきたクアラ・カンサーを訪れました。マレーシアで最も美しいモスクといわれるウブディア・モスクがあり、伝統的なマレー文化が色濃く残されている街です。

この街の郊外のカンポン・サヨン・レンバーという村で本格的なマレー形式になる住宅を見つけました。またいつものように私たちは不躾にも是非とも家の内部を拝見したく、早速おとないました。するとその家のマダムはちょうど午睡の最中で、あわててムスリムが頭にかぶるベールである「ヒジャブ」を慌ただしくつけて応対してくれました。日本から持参したお土産のお菓子を差し上げ、私たちの希望を告げたところあっさりと受け入れてくれました。ちなみにマダムの曾祖父はこの村を作った当時の村の指導者だったそうです。客間に掛けられたおよそ70年ほど前に撮影された写真には曾祖父夫妻(前列左側)とその息子夫妻が写されています。今日もマダムのご主人(ご養子)はこの村の指導者の一人とのことです。また長男さんは映画の制作者とのことです。

古来、住宅というものはその土地に最も適したものが建てられてきました。兼好法師が「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」と温暖で多湿な風土の日本の住宅は夏の住み易さを優先して造るのがよいといっているように、マレーシアの伝統住宅も常夏の多湿の地で暮らすマレーの人々の生活の知恵が込められています。きらびやかな装飾もない一見すると簡素な住まいといった印象の木造家屋です。たださくや手すりや窓にはマレー風の細かな彫刻が施されています。

本来屋根を椰子の葉で葺かれていたものですが、現在はトタン屋根が主流で、風通しをよくするため少しずつ屋根の位置をずらしています。屋根と壁面の接するところは時下に接するのではなく隙間を空けています。また天井も高く、風をさえぎる家具も最低限のものです。

外壁や床は板で、一階の部屋(こちらのお宅ではのちに一階を建て増ししている)の床は大理石やコンクリートが用いられ室温を下げる工夫が施されています。実際、二階は風が通るというもののやはり日中はあつく、一階の扇風機から送られる風は冷房の風かと思うほど涼しい風でした。窓は数多くあり、大きくな観音開きで、上下に別れ4枚の戸板からなっています。これは雨や風の程度により開放部を調整するための工夫と考えられます。また新しいものとしてスライド式のガラス窓も備えられています。床は高床式で、風通しをよくし、洪水や害獣や害虫から身を護るのと、床下で家畜を飼ったり、物置やガレージとして利用することができるようにしています。こちらのお宅もそうですが、床下の柱を利用してその間に壁を立てリビングルームに仕立てています。室内にはテレビやCD・ソファー・テーブル等の調度品が置かれ、たくさんの人が集まってくつろげるように広くとっています。こちらのご家族はご夫婦に四男二女の八人家族です。

室内に入るために玄関には階段があります。一階階段下で履物を脱ぎ、裸足で階段を上がります。内部は、階段を上がって最初の部屋がオープンスペースとなっていて、こちらのお宅には椅子とテーブルが置かれていてちょうど応接間として利用しています。このオープンスペースにはこの家で一番大きな窓が二つ切られていて、最も明るくて風通しの良い部屋で、客間として最も適切な部屋です。その隣の部屋は本来リビングとして用いる部屋とのことですが、現在は新たな一階にリビングルームが造られ、同じく客間として用いられています。壁には家族の写真や表彰状、こちらのお宅に代々伝わる二百年まえの壷やラブ・サヨンと呼ばれる瓢簞型の水壷等が飾られて、ソフアーとテーブルが置かれています。なお椅子に腰を掛ける立礼形式はヨーロッパの影響で、本来マレー人は我々同様玄関で履物を脱ぎ室内では裸足で、床に直に座る座礼形式です。寝室は一応簡単な戸が着けられていますが、上部は木を組んだ欄間様のものがはめられ風通しが良いようにしています。昔はこの戸も無かったと思われます。こちらのお宅では現在はベッドが置かれ子ども部屋として利用されていますが、本来はマレーシア独特の薄い敷蒲団に同じく薄手の布団を掛けてやすんだとのことです。

台所は家の一番奥まったところで、大理石を敷き詰め、ガス台と水道を備えた流し台・調理台があります。食器棚を挟んで食卓と椅子が置かれています。食器棚には数少ない食器が置かれています。食器の数が少ないのは、伝統的にマレー人はお皿にご飯を盛り、その上におかずを載せる形式のためです。なお、今日は東南アジア全般に見られるようにフォークとスプーン用いて食べますが、元来、右手を器用に用いて指で食べていました。

トイレは日本の和式スタイル同様で、便器に金隠しがなく入り口に向かってかがんで用を足します。ペーパーはなく壁に着けられたホースの水でお尻を左手で洗います。そうしたことから食事には決して左手は用いられないのです。なお、ホースの無いトイレでは桶に水が張られそれを汲むための杓が備え付けらています。浴室はシャワーで、シャワーが無い家は桶に水を溜めていて桶を使って体を清めます。日本のように浴槽に湯をためて体を温める習慣はなく、いわゆる行水です。トイレも浴室も室内にあります。なお、お祈りの前にはマンディといって前身を水浴びをするか、手足を清めます。

ご夫妻の寝室は一階で大理石を敷き詰めた部屋にベットが置かれ、とても涼しい部屋でした。なお、この部屋は単なる寝室でなくこちらのお宅で最も清浄で大切な部屋でもあるのです。なぜならこの部屋で西に向かい、すなわち決められた時間にサウジアラビアメッカのカーバ神殿にむかい、「アッラーヘアクベル(神は偉大なり)で始まる聖典コーランを数十分にわたりを唱えて祈りを捧げます。この時、マダムがお祈りの作法を私たちのために特別に見せて下さいました。本来、モスクでは男女のお祈りの場所はカーテンやボードで仕切られていて、まことに厳しい区別がある)今回は正式なお祈りではなく、異教徒であり、異文化の我々に正しいムスリムの信仰を紹介したいとの思いからこちらの疑問に応えてくれてムスリムの人たちのピュアな信仰の一端を見せて下さいました。このことはまことに格別のことのようでした。

そな作法は頭のてっぺんから覆われたまことにゆったりした白装束の上下をまといます。西に向かって畳一畳ほどの絨毯を敷き、その中央に浄瑠璃の見台のような経机を安置しコーランを載せ、その前に座して左手でに数珠そっくりな数取りのための道具をもってお祈りをします。

なおムスリムには一日に五回の祈りも含め、「五つの戒律」を守る義務があります。

1、「アッラーはただひとつの神にしてアッラーの他に神はなし(一神教)」と唱えること

2、1日5回、メッカにの方向に祈ること(世界中のムスリムがメッカに向かって祈りを捧げる。ただし国や地域により細かく規定されている)

3貧しい者に施しをすること(ザカート)

4、1年に1回陰暦の「ラマダーン月」に毎日、日出から日没まで断食すること(貧しい人の気持ちになるため。水や食事は当たり前のことであり、タバコやつばをも飲む込むことも許されない。なお、妊婦・兵士・病人・パイロット等は例外)

5、経済的に豊かな者は一生の間に聖地メッカに巡礼すること(メッカ帰りの人は信者間かlらも敬意を表せられ、信者の中で位置づけが変る)

他にも有名ですが豚肉は不浄な肉なので決して食べない。スープであれエキスであれ豚を用いたものはすべてだめです。また酒は人の精神や自制心を狂わせることから戒律で固く禁じられています。

私たちはマダムに招じられて玄関を入って直ぐの客間に通され、そこでお湯とお盆を貸してほしいと伝え、庭の「クムニン」というう紫色の花を日本から持参した瓢に入れ、盆点前でお茶を差し上げました。茶器は一閑の尻張、茶碗は玉藻焼の赤の小茶碗、替茶碗に以前ミャンマーでもとめた漆器のお椀、「如意棒」という銘の茶杓。お菓子は虎屋の一口羊羹です。

マダムは私の盆点前に大変興味をそそられたようで、真剣なまなざしでみてくださいました。お茶も大変美味しいとのことで、替茶碗でもう一服飲みたいと重ねてのご所望でした。私たちもお相伴し、まさに初対面の外国人が言葉も十分に通じず、一碗のお茶を介して心をひとつに「一期一会」のすばらしい世界を築き上げました。

なお、最後に交名に署名をしてもらいました。そして彼女は名前とともにマレー語で「スキル テ ダリー マタハリ テルビット」と書いてくれました。のち日本語のわかる人に意味を尋ねたところマレー語の古典的な表現で「日の上る国から一碗のすばらしいお茶がやってきた」という意味とのことであす。ちなみに彼女は作詩をしているそうで、私たちは彼女が相当教養のある女性だと関心しました。

なお、20年以上前から同家で用いられている水入れである「ラブ・サヨン」と瓢簞とそっくりだといって大変喜んでくれ、私に今回の記念にプレゼントして下さいました。

その後家の中を隅から隅まで見せてくれ、写真の撮影をさせてもらい、また家の周辺を見せてもらいました。辞去する直前、マダムがどこからか椰子の実をひとつとってきてくれ、先ほどのお茶の返礼だといって目の前で鉈で割って取れ立ての椰子のジュースを振舞ってくれました。マレーシアで飲んだ如何なる飲み物にも勝る最高のものでした。


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