一日は、月の始まりで「月立ち(つきたち)」が転じて「ついたち」となりました。また「朔(さく)」とも書き「ついたち」とも読みます。
「正朔を奉ず(せいさくを ほうず)」ということばがあります。意味は中国の天子の統治に服することをいいます。中国では皇帝(天子)は天帝から命を受けて地上を統治するのみならず、時間や天上を巡る日月星辰まで支配するものと考えられました。元号を定めることは時間の支配することを意味します。王朝が交代すれば新たに皇帝は暦も改め、新しい暦を承認するということは、その暦を作った皇帝承認するという意味になります。こうしたことから「正朔を奉ず」が王朝の統治に服すという意味になりました。日月星辰を支配する以上、皇帝は日月星辰の運行も正確に把握しているとされ、正当な皇帝であれば正しい暦を作ることが出来るのが当然と考えられました。日食や月食の時間が正しく予測できなければ皇帝の不徳とされ、皇帝の正当性に関わる重大事で、歴代王朝は天文観測に特に神経をそそぎました。
周辺国がその王朝の庇護を受けるために朝貢すると、その返礼として下賜される品々の中には必ず「暦」が入っていました。暦が皇帝の正当性の証であり、それを下賜することによって朝貢した国の王は皇帝に臣従し、その国の支配を認可され、その庇護下に入ったことを皇帝が認めたという証としたのです。清の朝貢国であった朝鮮は清の皇帝から朝鮮国王を認められ、日清戦争のあと独立するまで清の暦や元号を用い、「万歳」でなく「千歳」であったのです。
江戸幕府も毎月一日と十五日が月次(つきなみ)の総登城日と定め月次拝賀(つきなみはいが)が行われました。参勤交代で江戸に滞在中の大名および水戸藩など常駐している大名が江戸城に上がり将軍に拝謁する定例の日で、将軍に違背の気持ちがないことをしめす主従関係の確認が行われていました。これが下々にも及び、商家などでも一日に主人と奉公人の主従関係を確認するとともに絆を強める大切な日とされていました。「お朔日(ついたち)おめでとう」と挨拶をし、その日の御膳にはお頭付きの料理が振舞われ祝日扱いとされていました。
今日は旧暦一月一日、元日です。中国ではいわゆる春節として盛大にお祝いされる日です。数年前に寧波の友人宅で年越しをし、彼の家族、親戚と春節を体験しました。前日の大晦日は夕方から花火が打ち上げられ、日付が変わると打ち上げ花火と爆竹でまるで戦場のような轟音が街中で鳴り響き、朝から親戚に新年の挨拶回りが始まり、毎日毎日一日数軒の家でご馳走ぜめでした。懐かしい思い出です。
写真は武者小路千家11代一指斎の横物「今日賀」です。
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