• 木津宗詮

南宗寺開山忌


 今日は南宗寺の開山忌です。本来ならば家元が献茶を奉仕しますが、今年は新型コロナで献茶は中止となりました。

 南宗寺は戦国武将三好長慶が父・元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)に大林宗套を開山として建立した臨済宗大徳寺派の寺院です。創建当時は壮大な寺院を造営し、著名な禅僧が来住して自由貿易都市として栄えた堺の町衆文化の発展に寄与しました。中でも、千利休の師である武野紹鷗は、大林宗套に参禅して「茶禅一味」の言葉をもらいわび茶を深め、千利休も第二世笑嶺和尚に参禅して禅に開眼。日常の俗世を離れて禅の修行に入ったような茶の湯の生活や、知識ではなく体で会得していく茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めました。

その南宗寺は、今も昔ながらの禅宗寺院の面影が色濃く残り、周囲を土塀で囲まれた静かな境内に佇めば、結界を超え仏の世界へ踏み入ったような感覚に。境内には千利休ごのみの茶室・実相庵が復元されており、利休忌にちなんだ茶会も催されます

 三好長慶は、父は阿波・山城守護代三好元長の子で、幼名千熊丸、通称孫次郎、実名ははじめ範長。伊賀守、筑前守、修理太夫と称しました。将軍足利義輝を近江へ追放し、事実上の独裁政権を樹立し、山城・丹波・摂津・和泉・淡路・讃岐・阿波・河内・大和を併合し北条氏と並ぶ大大名に成長します。堺や安宅水軍を擁し鉄砲など最先端の軍事技術を保有し、キリシタンも受容しました。しかし晩年は家宰松永久秀の台頭に押され、嫡子義興を失い、将軍義輝との調整に悩みながら失意のうちに病死しました。文芸に秀でて連歌の名手でもありました。



 茵

 蒲

工夫綿密、坐破

一團、長慶膝下

何渉多端

  生苕叟書(印)


茵蒲(いんぽ)

工夫綿密(くふうめんみつ)、一団を坐破(ざは)す、長慶膝下の、何ぞ多端に渉(わた)らん

 

古嶽宗亘の墨跡です。長慶は古嶽に就いて力を尽くし励んで坐禅にいそしみました。その修行は徹底したもので、坐蒲(ざふ・坐禅の時に用いる敷物)が破れるほど徹底したものでした。長慶の膝下、すなわち長慶その人は悠然と坐して、何一つあくせくと求めるものが無い、まさに「無一物」、悟りの境地に至っている。

古嶽宗亘は、大德寺第76世で、塔頭大仙院の開山です。また、堺の南莊舳松に南宗菴を営み、のちの南宗寺の先蹤をなしました。

 今日は南宗寺開山忌です。三好長慶の参禅の師である古嶽宗亘(こがくそうこう)が長慶の禅の力量・境地が大層勝れていることを讃えた内容の軸です。茵蒲は釈迦が成道する時、草刈り人が差し出す吉祥草を受取り、ピッパラ樹(菩提樹)の下で吉祥草を敷き詰めた金剛宝座で、結跏趺坐(けっかふざ)して深い瞑想に入った故事に基づいています。



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