今日は年が改まって最初の「子」の日、「初子(はつね)」の日です。かつてこの日に「子日遊(ねのびのあそび)」という正月行事が行われていました。「子日(ねのび)の遊び」はわが国の春の野遊びの習俗を根底とし、丘に登り四方を遠く望んで陰陽の静気を浴びて憂いを除くという中国の習慣とが一つになってはじまった正月行事です。宮中では紫野などの郊外に赴き、若菜を摘みそれを羹(あつもの)にして食べ、千年の齢をもつ松の若木を根から引き抜き、その長寿にあやかるという形で行われていました。若菜の羹は七草粥とも深い関わりがあります。
幕末・明治の画僧花乃舎唯念(はなのやゆいねん)の子日小松図。
唯念は渡辺清・浮田一蕙・土佐光信について画を学び、国学・復古思想の風潮を反
映した絵を多数画いている。水干姿の童子が小松を手にする有職調のまことにゆかし
い絵である。 また古く奈良時代には初子の日に天皇から親王・諸王・臣下に辛(からすき)と玉箒(たまほうき)を賜る行事もあったそうです。辛鋤は田畑を耕すもの、玉箒は蚕の床を掃くものもので、天子と皇后が率先して農耕蚕織をするという中国の制度を取り入れた儀礼です。現在、正倉院に子の日の手辛鋤と玉箒が伝わっています。そして宮中では宴会が行われ、それを「子日宴(ねのびのうたげ)」とよんでいたそうです。
紫野黄梅院長老のとはるに
をりしも挽おきのなくてすへなさに
季鷹
我宿のうすも子日の松ならは来てひく
人のあらまし物をと書て臼に
添て出し置しに折ふし長老も相
しれる人京より来けれはいさ
ひかんとて
大綱長老
君かうすや子日の松と成にけむ
とひ来る人の手毎にそひて
大徳寺黄梅院の大綱が季鷹のもとを訪ねてきた時、折しも茶の挽き置きがなくてなす術がなく、わたしの宿の茶臼が子日の松ならば、わたしのもとにやって来て臼を挽いてくれる人もいるのだろうがとの内容の歌を詠んで臼に添えて贈ったところ、大綱も知っている人が京から来たのでさあ挽こうといって、あなたの臼が子日の松になりました。訪ねて来る人ひとりひとりの手が添えられています、といった内容です。 大綱の歌は「子日の松を引く」を「臼を挽く」に掛けて詠み込んでいます。それを臼に添える。二人の和歌の巧みなやりとりが素晴らしいです。なにより季鷹のとっさの機転がとても見事です。
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