捨てる神あれば拾う神あり

辞書に「捨てる神あれば拾う神ありとは見捨てられることがあっても、一方で助けてくれる人もいる。たとえ不運なことや困ったことがあっても、悲観することはないというたとえ。」とあります。

大正の頃、大徳寺の雲水の修行道場である僧堂は千家の菩提寺聚光院でした。当時の師家は武者小路千家12代愈好斎と木津家3代聿斎が参禅し、それぞれに斎号を与えた川島昭隠(槐安軒・霧隠軒)でした。

この舟花入の昭隠の箱書によると、聚光院本堂前の白杉で作った旨が記されています。単に歪んだ長さがおよそ15センチ、直径が6センチほどの節の部分の木っ端です。当然建材にもなりません。せいぜい風呂やおくどさんの薪に使うぐらいのものです。それでも見る目のある人が見れば立派な花入に変身します。床に掛けられてみなから頭を下げて拝見される立派な茶道具に。

まさに捨てる神あれば拾う神ありです!