苟日新、日々新、又日新
苟(まこと)に日に新たに、日々に新たにして、又た日に新たなり
中国の古典『大学』の一節です。古代中国、殷の名君湯王が毎日使う洗面器に「苟日新、日日新、又日新」という文字を刻みつけて、そしてこの言葉を日に三度唱え、日日自戒につとめたと伝えられています。 新しい一日を迎えるたびに自分自身を向上させる、毎日毎日それを繰り返す、そして毎日毎日自分自身も新しくなる。くる日もくる日も弛まず行うことである。ただし新しい自分があるのは昨日の自分あって今日がある。今日の自分があるから明日がある。それは日々の繰り返しの中で自分自身が鍛えられて再生が繰り返されているのです。 「一年の計は元旦にあり」の言葉通り、去年も同じような気持ちで新年をスタートしたはずなのに自分の計画通りにならず、またしても「今年こそは」と新たな気持ちになります。本来ナマケモノの私は「三日坊主」で終わるのが常です。自分の意思の薄弱さ、わかっているのに自分自身にはついつい甘くなり、大切な一歩をなかなか踏み出すことをいつか忘れてしまいます。そして年の終わりにその成果が現れて、反省となります。「歳月人を待たず」いつまでも若いわけではありません。四捨五入するととうの昔に60歳になっています。人生50年。昔ならならいつ死んでもおかしくないそんな年を迎えています。今年こそは「日々新」に思いで1日1日を大切に生きて、そして昨日よりは今日、今日よりは明日と向上していき、目標に到達したいと念じています。
建仁寺管長小堀泰巌老師の色紙「日々新(日々に新た)」です。
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