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社中の粗相は師匠の粗相

更新日:2023年9月15日

私は普段の稽古でその時の趣向や時節に応じて古いものや高価なものとか関係なく使うようにしています。使われるためにこの世に生まれたものが道具だと考えています。こんないいかたするとご批判の方もいらっしゃると思いますが、所詮、道具は使ってなんぼだと。どんな高価な道具でも桐箱に入れられてからの中にしまわれて何か特別な時に使うので秘蔵して、結局一度も使わずに死んでしまったら意味がない。素晴らしい会津の桐箱に二重、三重の箱が添えられてた立派な道具も使われなければ立派な棺桶に入れられた遺体と同じです。そこから出して使ってやれば道具に手足が生えてたちまち踊り出します。

それよりも良い道具を使い、社中の目を高めてもらい、道具の扱いもより細やかに丁寧になってもらうことができます。仮に粗相があっても、社中はそれを壊すつもりで扱うのではなく、逆に大切な道具だから余計気を遣って大事に扱ってくれます。形あるものはいずれは壊れるもの。だからその覚悟で使っています。敢えて壊そうとか、適当に扱おうという社中は一人もいません。逆に先生の道具だがからこそより一層丁寧に扱ってくれています。仮に粗相をしたら一番辛いのは粗相をした社中です。だから責めることは絶対にしません。それよりも粗相をした社中はこの上もない稽古をし、これまで以上大切に扱ってくれるに決まっています。なお、幸いなことに、その甲斐あってか未だ稽古で粗相をした社中はいません。そして稽古のたびにその道具の価値や意味や扱いを丁寧に説明してあげることが大切だと考えています。

だからもし社中に粗相があったとしてもそれは私の粗相であり、師匠としての指導不足でありこの上もなく恥ずかしいことだと思っています。それを非難するのは自らの力量不足を表すに等しい行為です。社中を責めるのは天に唾するのと同じです。月謝を払ってくれる社中に当然それに見合う対価を提供するのが師匠としての本分と常に心がけています。これは茶会でも同じことです。可能な限りお客さんに喜んでもらえるようにしなければなりません。プロであるならそうした心がけで無ければならないと思っています。

不昧公の言葉に、「客の粗相は亭主の粗相なり。亭主の粗相は客の粗相と思ふべし。味はふべき事なり。客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ。習にかかり、道理にからまれ、かた苦しき茶人は、田舎茶の湯と笑ふなり」という教えは普段の稽古の師弟にも通じる物だと思います。


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