• 木津宗詮

鵺(ぬえ)の鳴く夜は恐ろしい!

 40代以上の方には懐かしい横溝正史の原作になる映画「悪霊島」のキャッチコピーです。ビートルズの「レット・イット・ビー」がバックに流れ「鵺の鳴く夜は恐ろしい」というキャッチコピーがとても鮮烈でした。

 鵺とは『平家物語』では顔は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇。『源平盛衰記』では頭が猫で胴は鶏とされる妖怪です。鳥のトラツグミの声に似た気味の悪い声で鳴くとされています。

鵺 Wikipediaより


 『平家物語』には近衛天皇の御代、毎夜丑刻(午前2時頃)になると東三条の森の方角から黒雲が起こり御所の上を覆い、奇妙な鳥の鳴き声がして天皇を悩ませて病の身となってしまいました。有験の高僧や貴僧に命じて大法・秘法が修せられ、名医の薬も効果がありません。そこで公卿たちが詮議しました。堀河天皇の御代に同じように天皇が苦しみ気絶したことがありました。その時、源義家が紫宸殿の広縁に控え、天皇が苦しむ時刻になると、弓の弦を3度引いて鳴らし、「先の陸奥国守源義家」と声高に口上すると天皇の苦しみが和らぐということがありました。

源頼家 Wikipediaより


この先例により、弓の達人として名の知れた源頼政に怪物退治が命じられました。源頼政は最も信頼を寄せていた家来の猪早太(いのはやた)に、鷲の両翼の風切りという羽ではいだ矢を背負わせ、自分は、表裏同色の狩衣に、山鳥の尾の羽ではいだ鋭く尖った矢を二筋と滋藤(しげとう)の弓を持ち、南殿の大床に行きました。天皇の御難の刻限になると、東三条の森の方から一群の黒雲が立ち起こり御殿の上を覆いました。頼政がその雲を見上げると、そこにが怪物の姿がありました。頼政は矢を取って弓につがい、「南無八幡大菩薩」と心の中で念じつつ矢を放つとみごと怪物に当たり、「得たりや、おう」と矢を射たときに叫ぶ詞「矢叫び」をあげました。素早く猪早太が落ちてきた怪物に近寄り取り押さえ、柄も拳も貫通せよとばかりに、続けざまに9回刀で刺してとどめを刺しました。松明で照らすと、頭は猿で体は狸、尾は蛇、手足は虎の恐ろしい怪物でした。天皇は感激して褒美に「獅子王」という御剣を頼政に与えることにしました。藤原頼長が御剣を受け取り、源頼政に与えようと御前の階段を半分ほど降りた時、雲間にから郭公の鳴き声が二声三声響き渡りました。そして頼長が、


郭公名をも雲井にあぐるかな(ほととぎすが空高く鳴いているように宮中で名を上げたことだ)


と詠みました。頼政はひざをつき、左の袖を広げ、月を少しわき目に眺めつつ、


弓はり月のいるにまかせて (月の入るままに射たにすぎませんと)


と下の句を続け、御剣を受け取り退出しました。人々は頼政は武芸だけでなく歌道にも優れていると感心しました。そして鵺の死骸は丸木舟に入れて流されたということです。

 再び二条天皇の御代に鵺が宮中で鳴き天皇が悩まされた時、先例に従って頼政が召されました。ところが鵺は一声鳴いただけで闇の中に姿をくらましてしまい、矢の狙いを定めることができませんでした。そこで頼政は大きな鏑矢(かぶらや)を取って弓につがえ、鵺の声がした内裏の上へ射上げました。すると鵺は鏑矢の音に驚き、虚空の中で、「ひひ」と声をたてて鳴きました。鵺の鳴き声で居所を突き止めた頼政は、次に小さな鏑矢をつがえて続けざまに矢を放ち見事に射落としました。天皇は恩賞として頼政に御衣を授けました。この度は藤原公能が御衣を受け取り頼政の肩に掛けました。そして中国の弓の名手養由が雲の外の雁を射て、今は頼政は雨の中の鵺を射たのだなあと感心して、


五月闇名をあらわせる今宵かな


と詠みました。すると頼政は、


たそがれ時の過ぎぬと思うに


と続け、御衣を肩にかけて退出しました。その後、頼政は伊豆の国を賜り、子の仲綱を国司にして自分は三位となりました。丹波国の五箇庄と若狭国の東宮河(とうみやがわ)を所領としたという源頼政の鵺退治の武勇伝です。

源頼政 Wikipediaより


 鵺については古くは『古事記』、『万葉集』にその名前が記されているそうです。その鳴き声は「ヒョーヒョー」とされ、鳩大の大きさで黄赤色の鳥考えられていました。現在では、トラツグミとするのが定説でだそうです。


https://m.youtube.com/watch?v=eaKXMP6cAwU


平安時代の人びとはその寂しげな鳴き声から不吉な凶鳥とされ、天皇や貴族たちは鳴き声が聞こえると大事が起きないよう祈祷したとのことです。

能の曲目『鵺』は諸国一見の僧が摂津国芦屋)の里で鵺の亡霊と遭遇し、鵺の亡霊はその最期のさまを語り、滅亡したありさまを演じて暗い世界へと沈んでいくという内容です。退治された鵺の側から源頼政の栄光が語られる物語です。

トラツグミ Wikipediaより


 二条城の北側、NHK京都放送局南隣の二条公園かま源頼政に射られた鵺が落ちて来た場所とされ、かつては頼政が鵺の血に濡れた矢じりを洗った池があります。その池跡を示すも元禄13年(1700)に建てられた石碑と射落とされた鵺を祀る鵺大明神の祠が祀られています。平成17年(2005)には公園が整備され、池も新たに作られ、石碑も復元されました。





以上、鵺大明神祠


下京区にある神明神社は源頼政が無事に鵺退治が成就するように祈った神社とされる神社です。





以上、神明神社


 茶杓は初代松斎宗詮の自作になる銘「鵺」です。本樋に竹をとり、樋の深い中節のまことに豪快で荒々しい茶杓です。いかにも妖怪「鵺」にふさわしい趣です。

初代木津松斎宗詮作 竹茶作 銘「鵺」 共筒共箱



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