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4月22日 稽古場の床

昨年10月18日から半年間にわたり厳修されてきた「聖徳太子千四百年御聖忌慶讃大法会 結願法要 聖霊会が大阪四天王寺で営まれます。それにちなみ聖徳太子軍装図を床に掛けました。


『日本書紀』によると、わが国に仏教が伝来した時、受容するかしないかで廃仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子が対立し、合戦となりました。そして聖徳太子は崇仏派の蘇我氏につき自ら四天王像を彫り、戦勝を祈願しました。そして戦に勝利した聖徳太子が建立したのが四天王寺とされています。

この図は、物部守屋を打ち破った時の聖徳太子の姿を土佐光起が描いたものです。花は東大寺お水取りの糊こぼしを華籠に盛りました。


四天王寺の学芸員によると、このような甲冑をまとった聖徳太子の図はまことに珍しいとのことです。綺麗なお顔に凛々しいいでたちの品格のあるお姿です。


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