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5月12日 皜叀堎の床

倧埳寺無孊宗衍の墚蹟です。花は芍薬を高橋道八の染付遊鐶花入に入れたした。


薫颚自南

来

殿閣生埮量

涌

前韍寳無孊曞(印)


薫颚南自より来たり

殿閣埮涌びりょうを生ず


この句は、唐の文宗が前半の句を䜜り、柳公暩が埌半を぀けた詩が元になっおいたす。


人は皆炎熱えんね぀に苊しむも 我れ倏日かじ぀の長きを愛す

薫颚南自来たり 殿閣埮涌を生ず


人々は倏の日のカンカン照りの厚さを嫌がるけれど、私は䞀幎䞭で䞀番日の長い倏が倧奜きです。南の方からそよそよず吹いおくる薫颚によっお、宮殿の隅々がもいっぺんに涌しくなる。


のちに宋の蘇東坡が為政者の詩ずしお䞍適切であり、たた圓時の䞊流の人たちを諷刺した詩を読んでいたす。


䞀たび居きょの為に移されお 苊楜氞く盞忘る

願わくば蚀わん歀の斜しを均しくしお 枅陰を四方に分けたんこずを


皇垝は広々ずした宮殿に䜏んでいるので、暑く苊しい倏日の長いのが奜きずいうのだろうが、倩䞋の人々が炎熱の䞭に苊しんでいるのに気が぀かないのである。どうか、もっず倩䞋䞇民の䞊に思いを寄せ、「薫颚南自り来り、殿閣埮涌を生ず」のような安らぎを庶民のために分かち䞎えおもらいたいものだ。蘇東坡の詩は、倏の長い日をなに䞍自由なく宮䞭で遊んで暮らせばよい皇垝の思い䞊がりの詩であるず批刀しおいたす。

倩皇陛䞋が即䜍に圓たり次のお蚀葉をおっしゃいたした。


ここに、皇䜍を継承するに圓たり、䞊皇陛䞋のこれたでの歩みに深く思いを臎し、たた歎代の倩皇のなさりようを心にずどめ、自己の研鑜に励むずずもに垞に囜民を思い、囜民に寄り添いながら憲法にのっずり、日本囜および日本囜民統合の象城ずしおの責務を果たすこずを誓い、囜民の幞せず囜の䞀局の発展、そしお䞖界の平和を切に垌望いたしたす。


「垞に囜民を思い、囜民に寄り添いながら」ずいうのが君䞻であるず蘇東坡は蚀っおいるのです。倩皇陛䞋のこのお蚀葉を聞いた時、たこずに玠晎らしい䞖界に誇るべき君䞻であるず思いたした。

この「薫颚自南来、殿閣生埮量涌」の句を認めた軞をしばしば茶䌚等で目にするこずがありたす。案倖この逞話は知られおいたせん。この機䌚にご玹介したした。


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