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執筆者の写真木津宗詮

私の斎号

 平成16年(2004)の春、家元祖堂で当代家元不徹斎宗匠より乱飾の相伝を受けました。それに併せて斎号も頂戴しました。


今年より

千代の春をも

   契り見ん

若木の桜

   庭に移して 

       不宣

右ニ依リテ命名「桜斎」

甲申秋

       宗守(花押)


この時、不徹斎宗匠の「桜斎号」の軸です。

 そしてその年の秋、乱飾と斎号の披露茶会を東山銀閣寺(慈照寺)で催しました。銀閣寺は武者小路千家とは格別縁が深く、明治の住職菅元禎は一指斎の門人で、境内に半宝庵写しの茶室「集芳軒」があります。

 斎号「桜斎」の出典の「今年より千代の春をも契り見ん若木の桜庭に移して」は冷泉為村の和歌で、「大江崇之」という若木の桜を「木津家」という庭に新たに移し、行く末長く栄んことを期待するという思いからです。その思いに応えるためにはますます努めなければなりません。まことに重い歌です。

 ちなみに木津家歴代の斎号は、初代は大徳寺の大綱宗彦が「松斎」、二代は大徳寺の拙叟宗益が「得浅斎」、三代は大徳寺の川島昭隠が「聿斎」、四代は先々代愈好斎が「花笑斎」、五代は大徳寺の小堀明堂が「柳斎」、六代は不徹斎宗匠が「徳至斎」と命名しています。いつの頃からか木津家では奇数代が「一字」、偶数代が「二字」が慣例となっています。

 それまでも桜は大好きな花でしたが、この桜斎の号をもらってからは以前にも増して桜が好きになりました。桜が咲き始めると心が浮かれます。例年、この頃は多忙を極めますが、時間の許す限り桜を眺めています。路傍の名もない桜であろうと。

私にとっては桜は格別な想いと親しみを感じる木です。



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