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秋の七草

秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり)

かき数ふれば 七種(ななくさ)の花

『万葉集』巻八

萩の花 尾花(おばな)葛花(くずばな)瞿麦(なでしこ)の花

姫部志(をみなへし) また藤袴(ふじばかま) 朝貌(あさがほ)の花

『万葉集』巻八

山上憶良の秋の七草の和歌です。あさがおは、桔梗や木槿・朝顔(牽牛花)など朝開き夕方萎む花ということで定かではありません。

ちなみに、春の七草は「せり(芹)・なずな(薺・ぺんぺん草)・はこべら(繁縷・はこべ)・ほとけのざ(仏の座・コオニタビラコ)・すずな(菘・カブ)・すずしろ(蘿蔔・大根)」で、1月7日の「七草」で、

七草なずな 唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、合わせて、バタクサバタクサ

と、前日の夜にまな板に乗せて囃し歌を歌いながら包丁で叩き、当日の朝に粥に入れて食べます。囃し歌は鳥追い歌に由来するもので、これは七種がゆの行事と、豊作を祈る行事が結び付いたものとされています。

また、あまり知られていないことですが、昭和20年に、日本学術振興会学術部・野生植物活用研究小委員会が、戦時中の食糧難の時節にも食べられる植物として、「あかざ(藜)・いのこづち(猪子槌)・ひゆ(莧)・すべりひゆ(滑莧)・しろつめくさ(白詰草)・ひめじょおん(姫女菀)・つゆくさ(露草)」の7種類を「夏の七草」に選定しています。

江戸初期の土佐派の画家で、土佐派中興の祖土佐光起(みつおき)の「秋草図」です。土佐光起は永禄12年(1569)年に土佐光元(みつもと)が没して以来久しく失われていた宮廷の絵所預となり、父光則の宿願でもあった土佐家再興を果たしました。

この軸の絵をいつも不思議に思っていることがあります。尾花(薄)に萩・女郎花・藤袴、それにこれはどうみても蒲公英(たんぽぽ)が描かれています。蒲公英は春に咲く花で、不釣り合いこの上ないです。なぜ、秋草の中に春の草を入れているのかがわかりません。本当に不思議です。


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