江戸時代、幕府の公認と保護を受て権威を持った盲人の集まりである当時、当道座は検校・勾当・座頭の階級にわかれ、音曲や鍼灸を独占し、公家の久我家に千両の金を納めて絶大な権力を持つ検校の位に着きました。そのため高利貸しをすることを認められていました。これは幕府による盲人保護の政策ひとつでもありました。
私たちは学校教育で江戸時代は身分による差別が厳しくいろんな意味でマイナスの時代であったとおしえられました。ところが近年、そうでもなかったと見直されています。ちなみに、そうしたマイナスのイメージは明治維新の立役者であった薩長土肥にとっては前政権の徳川幕府を否定する必要があり、また、戦後は彼らのもと作られた皇国史観を否定するというマルクス史観の歴史学者が主流を占めました。彼らは反封建の立場で、明治維新以降の皇国史観の歴史学者と同じく江戸時代を否定するという点では共通していたことによると、以前読んだ本に書いていました。ところがベルリンの壁以降、ソ連もなくなり、中国も改革開放でそれまでのマルクス史観が崩壊したことにより江戸時代を見直す流れが起きたことによります。
明治維新により盲人が幸せになったかというと決してそうではありません。それまで盲人だけに許されていた鍼灸や音曲、そして高利貸しも否定され、これらの業界に健常者も進出しかえって苦しい状況になったのが事実だったのです。
大津絵「座頭図」です。
大津絵とは、江戸初期に東海道五十三次の宿場であった大津の追分(大谷)で軒を並べ、街道を行き交う旅人等に縁起物として神仏画を描き売ったのがその始まりです。
大津絵には江戸後期に絵種を十種に絞り、もっぱら護符として売られた時代がありました。文化・文政の頃から徐々に大津絵の主となり、幕末には他の図柄はほとんど描かれなくなってしまったようです。
座頭が犬に褌を銜えられる様子を描いた図で、目が不自由だからこそ、人一倍勘がするどいはずなのに、褌を犬に噛み付かれ、追い払おうとして杖を振り上げて困っている姿を描いています。
目が不自由だからこそ気をつけているはずが、油断すると意外なものに足元をすくわれることがあるという風刺画です。「心のゆるみ」を戒めているのだそうです。
現代人の感覚では盲人を嘲笑した絵とみれば問題があります。ただし、盲人の中には悪徳高利貸しもいて、「当道座」に所属する座頭が幕府からいかに保護されていたかをうかがうことができます。そしてそうした権威のもと庶民を苦しめていた悪徳高利貸しに対する不満の気持ちも込められています。他の大津絵の「鬼の寒念佛」は僧、「奴」は武士の象徴であり、庶民はこれらの絵を笑い飛ばして溜飲を下げたようです。
いずれにしろこの絵に込められた教訓は時代を超えてとても大切なものです。
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