江戸時代、全国の大名が大坂で年貢米や特産物を換金するために設置した蔵屋敷が多数ありました。幕末には水運の便のよい大川ぞいの中之島に41、堂島に15の蔵屋敷があったそうです。蔵屋敷は米蔵と船入の設備を持ち多くの藩士がいました。そして堂島には米を換金する米相場があり、その金は国元と江戸に為替で送られました。江戸は大名にとってまさに消費の町、大坂は日本全国の富が集中する天下の台所だったのです。ちなみに慶應義塾の創立者の福沢諭吉も、堂島の豊前国中津藩(大分県中津市)の蔵屋敷で下級藩士福沢諭吉百助の次男として生まれています。
現在の中之島は大阪市庁、中央公会堂、大阪府立中之島図書館等の施設と中之島公園なっています。
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