高き屋にのぼりて見れば煙立つ 

民のかまどはにぎはひにけり


 仁徳天皇の御製とされている和歌です。天皇が高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家のかまどから煙がたちのぼっている。民の生活が成り立っていることをうれしく思ったという歌です。

 ある時、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられました。すると民のかまどより煙がたちのぼっていませんでした。天皇は民がその日に食べる食料すらなく窮乏していることを知り心を痛めました。「天皇が天に立つのは民のためである。過去の聖王達は一人でも民が飢えたら自分の身を責めたものである。民が貧しいのは私が貧しいことであり、民が豊かなのは私が豊かなことなのだ」といい、そこで税を向う3年間は取り立てないことにしました。税を免じてから3年が経ち、天皇が高殿に登って見ると、先の通り炊煙が盛んに立っていたのです。これを見た天皇は、かたわらの皇后に仰せられたそうです。「私はすでに富んだ。喜ばしいことだ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、私も富んだことになるのだ」。ところが宮殿は壊れ屋根は破れているといった状態でした。そのときの民の有様を『日本書紀』には次のように記しています。

民、うながされずして材を運び、簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いて作る。いまだ幾ばくも経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。


 民は誰からも促されずに材木を運び土嚢を担いで、昼夜労をいとわずに力を競い尽くしました。このためいくばくも経たずに宮殿は全て整いました。このため、今に至るまで聖帝とあがめられているのです。まさに仁徳天皇に理想の帝王の姿を見ることができます。

写真は拙叟宗益の鍋画賛です。なお、拙叟は大徳寺447世、玉林院13世住職で、木津家2代得浅斎の参禅の師にあたり、木津家とも格別縁の深い人です。


此尻日に三度焼て天下太平なり

焼さる時ハ民苦しむ、おおけなくも

高き屋の御製も此尻より出たり、漫に

焼時ハ家亡ふ、しいて焼されハ交り

薄し、功言令色貧福ハ只此尻ニあり

 よきに煮よ

  あしきにゝるな

   鍋て世の

  人のこゝろに

   自在

    かき

     あり

  南明庵主

    無用子応需書(印)

この尻日に三度焼きて天下太平なり、焼ざる時は民苦しむ、おおけなくも高き屋の御製も此尻より出たり、漫(みだり)に焼く時は家亡ぶ、強いて焼ざれば交り薄し、功(巧)言令色貧福はただこの尻にあり

善きに煮よ悪しきに煮るな鍋て世の

人の心に自在鍵あり


功言令色・貧富福、世の中の良いことも悪いこともすべてはこの尻から出ます。そして常に心に鍵をかけて節度ある生き方をしないといけない。

それにしても畏れ多くも御製もすべて鍋の尻から出るとはよくいったものです。



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