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髑髏

   前拙叟宗益書(印)

 古徳賛語也

皮袋一霊

一霊皮袋

便是其人

即此形骸


即ち此の形骸(けいがい)、便(すなわ)ち是れは其れも人なり

一霊は皮袋(ひたい)、皮袋は一霊


この髑髏も人であり、その逆も真である。

その姿を変えても人は人であり、髑髏も髑髏である。


幕末の大徳寺417世拙叟宗益(せっそうそうえき)の髑髏画賛です。「古徳賛語」とは大慧宗杲の『大慧語録』のことです。ちなみに、大慧宗杲は中国,宋代中期の臨済宗楊岐派(ようぎは)の僧です。黄竜(おうりゅう)の兜率(とそつ)に学び,次いで圜悟克勤(えんごこくごん)に参じてその法をつ嗣ぎます。杭浙の名山に歴住し,趙州無字(じょうしゅうむじ)による公案参究を主張して、曹洞宗の真歇清了(しんけつせいりょう)を黙照(もくしょう)の邪禅として攻撃,多数の士大夫が参禅して一世を風靡しました。禅が文字に流れるのを戒めて師の圜悟が編する『碧巌録』を焼いたという逸話があります。当時の天子や士大夫のうちに絶大の支持を得、弟子の活動もまためざましく,相次いで宮中で説法することがあり、さらにその弟子たちにより五山十刹制度がつくられる遠因をなしました。

さて、この拙叟の賛ですが、一休の歌とされる、


骨隠す皮には誰も迷うなり

好きも嫌いも皮の技なり


も同じこ内容です。他にも一休のものに、


振り袖も留め袖とこそ変われども 

裸にすれば同じ身体よ

袈裟衣ありがたそうにみゆれども 

これも俗世の他力本願

衣より袈裟より俗世の古襦袢 

おのが技量できるが尊き


などと通じるものがあります。なお、これらの歌はのちの時代の人が、一休に仮託したものと考えられます。

理屈の上ではよくわかりますが、わたしのような凡夫は、所詮いつも皮に惑わされてえらいめにあっています!


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