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理平焼

当代不徹斎家元が宗守襲名前の宗屋時代に好んだ先代紀太理平作になる理平焼波絵茶碗です。

理平焼は、初代高松藩主松平頼重が野々村仁清の弟子森島作兵衛を招き焼かせた御庭焼がルーツとなっています。のちに作兵衛は紀太理兵衛と名を改め、高松藩別邸栗林荘の北に窯を築きます。以降、代々「理兵衛」を襲名しました。明治維新で廃藩置県となり御庭焼は廃窯となります。そして11代が京都の高橋道八に学び、名も紀太理平と改め、「理平焼」として再興し、 現在14代に至っています。なお、3代理兵以降は、破風「高」の印を押しています。


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