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醍醐窯

 初代島荷平(楽阿弥)さんは大阪の吉向松月の弟子で、初めて伏見稲荷大社の近くで窯を築き、のちに醍醐寺の隣の地に移り楽焼の作陶をしました。

 2代荷平さんは初代の薫陶をうけ、武者小路千家先代有隣宗匠とその妻燈子夫人の指導を受けて茶碗・水指などの茶陶、香炉や置物、特に食器などの造形に美しく、そして楽焼の本領である柔らかく暖かい多彩な器を創りました。あくまでも用の美を兼ね備えたものでした。なお、愈好斎宗匠、有隣斎宗匠も社中とともに手作りに、澄子夫人は絵付けにしばしば赴きました。特に澄子夫人は懐石料理研究家であったことから、荷平さんには楽焼の食器についてなにかとアドバイスをし、当時、楽焼の食器に特化して製作していたことから第一人者でもありました。

 今から20数年前に澄子夫人の推挙で2代荷平さんの娘さんが私の元で稽古して縁を深めていました。その後、結婚されて長らくご無沙汰していました。この度、三重の稽古の稽古の帰りにふと立ち寄りました。2代荷平さんはすでに亡くなられたことは知っていましたが、3代の荷平さんも4年前に54歳の若さで急死されたことを伺いとても驚きました。現在はお孫さんの静香さんが友人の田中咲紀さんがお父さんとお祖父さんの意思を引き継いで醍醐窯を継承されています。まだまだ若い二人ですが奮闘努力しているのを見てとても嬉しい気持ちになりました!非力ではありますが応援したいと心底思いました!

 ちなみに稽古に来てた娘さんの高校生の息子さんが、コロナウイルスで学校が休みで手伝いに来ていました。お母さんにそっくりでとても懐かしい思いになりました!

 とても充実した気分に浸ることのできる日になりました!

 みなさん醍醐窯よろしくお願いします‼︎























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