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山崎街道

山崎街道とは西国街道、すなわち山陽道のことです。山崎の周辺は、古くから交通の要衝として知られ、「天下分け目の天王山」で名高い山崎の戦いなど、幾多の合戦の場にもなってきました。

『仮名手本忠臣蔵』五段目の「二つ玉の段」の舞台は、大山崎町ではなく、「横山峠」すなわち現在の長岡京市友岡二丁目の周辺です。おかるの父親与市兵衛はまったくの創作上の人物ですが、どうしたものか友岡二丁目に「与市兵衛の墓」なるものが残っています。







駆け来る猪は一文字、木の根岩角踏み立て蹴立て、たゞひとまくりに飛び行けば あはやと見送る定九郎が背骨をかけてどつさりと、あばらへ抜ける二つ玉 ふすぼり返りて死したるは、心地よくこそ見えにけれ 


主君塩谷判官の刃傷の騒ぎの際に、早野勘平はおかると密会の最中で、その大事に居合わせなかったことを「武士にあるまじき事」としておかるの実家に逐電します。勘平は身過ぎとして猟師となり山城国山崎で暮らしています。おかるは勘平の帰参の願いを叶えるため、父与市兵衛に懇願して自らを売り、その金で武士にもどるようにします。ところが斧九太夫の定九郎に無惨にも殺害され五十両の金を奪われてしまいます。ところがそのうしろより、逸散に駈けくる手負いの猪。定九郎はあやうくぶつかりそうになるのをよけ猪を見送ります。その瞬間、定九郎の体を二つ玉の弾丸が貫き、悲鳴を上げる暇もなく、定九郎はその場に倒れ絶命してしまいます。そこに猪を狙って鉄砲を撃った勘平がやってきます。猪を射止めたと思う勘平は闇の中を、猪と思しきものに近づきそれに触ったところ猪ではない。「ヤアヤアこりゃ人じゃ南無三宝」と慌てますが、まだ息があるのではないかと定九郎の体を抱え起こすと、さきほど定九郎が与市兵衛から奪った財布に手が触れつかんでみれば五十両。自分が求める金が手に入ったと、「天の与えと押し戴き、猪より先へ逸散に、飛ぶがごとくに急ぎける」と走り去っていきます。「二つ玉」は江戸歌舞伎では勘平は銃を二発発射しますが、本来、二つ玉は二つ玉の強薬(つよぐすり)、すなわち「火薬が二倍使われている威力の強い玉」として文楽では一発しか打ちません。



雪ふれハ木ことに

雪降れば木毎に花ぞ咲きにける



有隣斎の猪自画賛です。

賛は紀友則の『古今和歌集』冬「雪の降りけるを見てよめる」の詞書の歌、


雪ふれば木ごとに花ぞさきにける

いづれを梅とわきてをらまし


雪が降れば、どの木にも白い花のように積もる。いずれの木を梅だと見分けて折ればよいのだろうかという意味で、「木ごと」(木毎)は、梅をあらわしたものです。

有隣斎の描いたなんとも愛らしい猪が雪の中を楽しそうに走っています。

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