毎日、私が敬意を表してやまない杉木普斎自筆の伝書を読み、普斎と会ってるような気持ちだと書きました。 読み始めた数日後、手元の普斎の自賛になる狩野周信の描いた肖像画を部屋に掛けて、来たる日も、また来たる日もながめていると、日ごとにその思いがつのってきました。
そもそも肖像画という絵画はその性格上、この絵を見て誰であるか判然と理解できることが大前提で描かれています。何歳の時の姿かは不明ですが最晩年のものに違いありません。この絵はプロの絵師が普斎を目のにして描いたものです。その姿を見事に写しているのです。そしてこれに普斎自らがその境地を着賛したものです。いわゆる辞世の句です。まさに普斎の人生そのものが書かれているのです。 卓に置かれた香炉からゆらゆらと煙が立ち込め、その前に着流しに道服を身にまとって一点を見つめる姿です。無精髭にわずかに残る髪、そして見事な福耳、キリッと結ばれたく口。目には何かしら優しさを感じます。左の脚を立て膝にして座り、裾からは素足がのぞいています。
いつの頃からかはわかりませんが、息子の吉太郎に家督を譲る61歳まで伊勢の御師として諸国を巡り伊勢参宮を勧めました。そして死ぬ前年の78歳まで京都をはじめ大阪、播磨、讃岐、そして遠く九州まで宗旦に伝えられた千家の「正風」の茶の湯を広めることに邁進しました。このわずかに見える足に私はそのすべてを見ることができると思っています。威厳というよりも、為すべきことをすべて為した一茶人としての悟りの境地が描かれているのに違いありません。そしてその境地を辞世として賛に認めているのです。
筆に姿を残し流るならうるさし
絵に本分ありや否
如何正法眼曰
忝も此普斎ゝゝ
まことに残念なことです。私には生涯この賛の真の意味を知ることはできないです。でもほんの少しでも理解できるようになりたいと切望しています。全く精進が足りていません。この軸をじっと見ていると、まさに普斎が目前に居て私に正風の茶の湯を説いてくれているのです。悲しいかな凡庸な私にはそれを十分に理解することが出来ません。ただ大袈裟ないい方ですが、少なくとも長らく俗事にかまけていた私に、忘れていた初心を思い出させてくれました。
私の師匠です!
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