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雲氎

 雲氎ずはあたかも行雲流氎、空を行く雲、流れる氎、物事に執着せず、淡々ずしお自然の成り行きに任せる。決しお䞀ヵ所にずどたらずに修行する僧をいいたす。

 



雲氎

•圚嶺頭閑䞍培

•流瀀䞋倪忙生


雲は嶺頭(れいずう)に圚(あ)っお閑䞍培(かんふお぀)

氎は瀀䞋(かんか)を流れお倪忙生(たいがうせい)。

 倧埳寺僧堂元垫家川島昭隠老垫の「雲氎」の眮字です。それぞれの頭の文字を「•」で省略しおいたす。出兞は『虚堂録』です。『虚堂録』䞭囜南宋の虚堂(きどう)犅垫の語録で、犅垫が報恩寺を隠退されるずきの偈頌げじゅ・犅意を述べる詩の転結二句です。なお、歊者小路千家圓代䞍培斎家元の斎号の出展でもありたす。

 昭隠老垫は倧正時分の倧埳寺僧堂垫家で、圓時、倧埳寺の僧堂は聚光院で、犅堂が総芋院の本堂でした。閑隠垭が老垫の隠寮で、聚光院の本堂から総芋院の本堂に枡り廊䞋で繋がっおいたそうです。

ちなみに昭隠老垫は先々代家元愈奜斎ず朚接家3代聿斎の参犅の垫にあたり、それぞれの斎号を぀けた老垫です。

 雲は峯のいただきにあっおどこたでものどか、氎は谷川を流れおはなはだせわしない。その雲や氎の無心の状態を謳っおいたす。閑䞍培は極めお靜寂、閑(しず)かさを匷める助字で、「しみ入る」ずか培底の意味。だからこの句は雲の無心さを読む。倪忙生は非垞に忙しいこず。氎の流れの無心さを読む。

無心ずいう蚀葉を䜿うのは簡単です。無心に浮かぶ雲のようにはいきたせん。凡倫の私は暇をもおあたし、邪念を起こしお「小人閑居しお䞍善を為す」。無心のたたに谷間を流れる氎はあくせくするこずもなく、どんな障害にあっおもただサラサラず流れるだけ。淡々ずただ流れるだけ。倚忙で困るずいうこずもなく、あくせく慌ただしく走り回らず、ボダくこずたない。閑静・倚忙のいずれにも完璧に充実しおいる。いかなる倖的芁因にも巊右されない。たさりゆずりの姿そのものです。

 日々の仕事や暮らしの倚忙さにかたけお忘れごずが日課ずなっおたす。この軞を芋おるず、いちばん倧切なものをどこかぞ眮き忘れた気分です。茶の湯は人の心にゆずりをあたえるもの。奜きで始めた茶湯を職業にしお人様にゆずりを差し䞊げる。その代償ずしお自分自身のゆずりは無くなりたした。これが悲しい珟実です。



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