• 木津宗詮

堪忍

最終更新: 3月7日

  堪忍の     なる堪忍は    するもよし     ならぬ堪忍    するも馬鹿なり       松年(印)

  堪忍のなる堪忍はするもよし   ならぬ堪忍するは馬鹿なり


 鈴木松年の「仮名手本忠臣蔵」七段目大星由良助画賛です。 「仮名手本忠臣蔵」は、元禄15年(1702)の赤穂浪士の討ち入りを描いた全十一段の時代物の作品です。寛延元年(1748)に大坂竹本座で人形浄瑠璃の作品として初演されました。竹田出雲・三好松洛・並木千柳らの合作です。大好評だったため同じ年に大坂で歌舞伎に移され、翌年には江戸三座で同時に上演されました。どんなに観客が入らない時でも『忠臣蔵』を上演すれば観客が入るといわれるほどですの人気演目です。外題の意味は、赤穂四十七士を「いろは(仮名)四十七文字」にかけられて「仮名手本」、そして「忠臣大石内蔵助」から「忠臣蔵」、蔵いっぱいの(たくさんの)忠臣としたされています。またいろは歌を7字区切りにすると「とかなくてしす」(咎無くて死す)の意が隠されているという説もあります。  大序から十一段目までの段があり、この軸の場面は七段目で「祇園一力茶屋の段」とか「茶屋場」とよばれています。大星由良助が仇討ちの本心をあざむくための遊蕩ぶりの中で、大いに酩酊してますが、亡君の後室である顔世御前の書状を読んだ時、遊女となった早野勘平の女房・おかるが由良助が読み始めた手紙を、好奇心から延鏡(手鏡)に映して覗き読みました。それに気づいた由良助は、密事を知ったおかるを殺すつもりで身請けをもちかけます。おかるの兄・寺岡平右衛門は、身請けの真意を察し、手柄を立てて敵討ちの供に加えてもらおうと、おかるに斬りかかります。驚くおかるは、父・与市兵衛の死と、夫・勘平の切腹を聞かされ、覚悟を決めます。まさに刀が振り下ろされようとするところを由良助が制し、平右衛門を供に加えます。そしておかるに、高師直 に内通し、由良助の真意を探るために床下に忍び込んでいた斧九太夫を、夫・勘平の代りに討たせました。松年の賛はそうした由良助の心中を痛い程伝えています。  芝居では心中に大望を秘めて遊興に耽る由良助は華やかに「紫」の衣装ですが、幕切れ近く「やれ待て、両人早まるな」の科白で再登場する由良助は「鶯色」の衣装で、性根が変わっているさまを表しています。幕切れは、平右衛門が九太夫を担ぎ、由良助がおかるを傍に添わせて優しく思いやり扇を開いたところで幕となります。文楽では平右衛門が、両腕で九太夫を重量上げのように持ち上げるという人形ならではの幕切れとなっています。  なお、戦後、『忠臣蔵』は上演禁止の憂き目にあいました。軍国主義につながるものとして占領統治下においたGHQにより上演を禁じられました。歌舞伎の一部の演目が、忠義という理念の宣伝媒体だったとされ、そのなかでも特に『忠臣蔵』は危険な演目であるとされたからです。昭和22年(1947)7月その禁は解かれ、東京劇場で戦後初の『仮名手本忠臣蔵』は上演されています。 

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