かつて京都総合博物館の「海のめぐみ~内陸の京で磨く~」という企画をみました。和食のおいしさ「うまみ」は、昆布やかつお節などの海の幸から引き出されてきたということでそのおいしさはいかにして生まれ、磨かれてきたのかを紹介する展観でした。
和食、特に京料理は、京都という内陸の町で発達したからこそ、今日があるのだと思います。和歌の師匠だった故冷泉布美子先生は絶対にお造りやにぎり寿司は食べなかったそうです。また、先斗町の知人は、今から30年以上前は魚といえば川魚で、先斗町に鯉や鮒・泥鰌などの川魚を魚屋さんが売りにきていたとのことです。なぜなら、元来、京都で生産またはとれる食材は、野菜と乾物・川魚だけでした。だから海の魚の生ものなど古いものに決まっていたからです。鮮魚は川魚しかなかったのです。だから京都で生まれた式包丁では、今も鯛ではなく鯉が魚の最高位として扱われています。
これから旬となる鱧は小骨が多くそのまま食べる事ができないので「猫またぎ」と呼ばれ、鰊(にしん)や棒鱈(ぼうだら)も同様に下魚とされていたそうです。ちなみに鰊は魚に非ずということで「鯡」という文字があてられました。また鯖(さば)は腐敗が早いため「生ま腐り」とか「生き腐り」といわれていました。
大阪から運ぶとゆうに半日かかるなか、鱧は生きたまま京都まで運ぶ事ができる生命力に強い魚です。そこで骨切りの技術が発達し小骨を切り調理する。鯖はひと塩して若狭から一昼夜鯖街道を荷車で運び鯖寿司にするなどの調理が行われました。本来、「猫またぎ」とか「生ま腐り」とか「生き腐り」といわれていた食材が、今日、高級な料理になっています。なんとも皮肉な事です。
そして昆布や鰹節で出汁(だし)をとり、醤油や酒・味醂などの調味料で美味しく味付けし、きれいな器にみごとに盛りつける。そうした工夫のもと今日の京料理ができ上がったといえます。まさにろくな食材がないからこそ、工夫を積み重ねて作り上げた食文化といえると思います。なお、極端なかもしれませんが、日本中、どこにいっても懐石料理、京料理の類が最高のものとされているのには疑問を感じます。京料理は限られた食材で工夫して作られたものです。新鮮な食材、豊かな食材のあるところは当然その素材を十分に活かして美味しい料理が作られています。いわゆる郷土料理です。例えば土佐の漁師がとれたての鰹をさばいて炊きたてのご飯にのせてお茶漬けにするなどといった類です。コンプレックスなのか何でも京都のものが勝れているという発想はいかがなものかと思います。なにもこの発想は料理に限ったことではありません。
今日、流通も十分に行き届き、また冷凍や保存の技術が発達し、日本中はいうに及ばず、世界中の食材が手に入る時代です。今後、むかしの人には想像すらできなかった発展・展開していくのでしょう。まことに興味深いことです。
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